1991年、ニュー・センチュリー・プロデューサーズ、三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ脚本、中原俊監督作品。
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陪審員部屋に選ばれた12人が入れられる。
出前で飲み物を注文するというので、めいめいが好き勝手なものを注文をする。
まず、決を取って話し合うか、話し合った後に決を取るか決めることになり、決を先に取ろうということで、挙手を求めると、全員「無罪」、あっけなく会は終わることになり、各々部屋を出始めたところで、一人の青年が待ったをかける。
こんなに簡単に決定していいのかというのである。
自分は話し合いをしたいので、全員部屋へ戻って来て欲しいというのだ。
渋々、部屋に戻って来た12人は、ぶ然としてめいめいの席につくことになる。
にしたことをまず詫び、一人一人に「無罪」にした理由を聞きたいという。被告が若くてきれいな女性だからだなのかと。
事件の概要はこうだ。
被告は21才の離婚歴のある女性。
彼女は、5才になる子供と暮していたが、ある日、別れていた元夫から会いたいと電話がかかってくる。
居酒屋「大自然」で会った後、女性は元夫から逃げるように、人通りの少ないバイパスで追い付かれ、もみ合いの末、女性が元夫を走って来たトラックの前に突き飛ばして死に至らしめた…というもの。
それで、一人づつ何となく説明を始めるのだが、どの人の説明も漠然としている。
青年は、一生懸命その「曖昧な所」を突っ込んでいくが、いくら話し合ってもらちは開かない。
それで、もう一度、決を取ろうということになり、そこで、もし又有罪票が青年一人だったら、彼は無罪説に従うことにするという条件付きで無記名投票することになるのだが、何と有罪が二人になっていた…。
▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼
本作は、シドニー・ルメット監督の名作「十二人の怒れる男」(1957)に触発され、その設定を日本に移し替えて独自の境地に到達せしめたシチュエーションコメディ。
単純に、オリジナル作品のパロディとかオマージュといってしまうと、微妙に違うような気がする。
確かに、人物造型やシチュエーションなどの部分には、オリジナルを熟知したものが作りうるパロディ的なくすぐり要素が数多く含まれており、それはそれで、オリジナルを良く知る者には愉快なのだが、どちらかというと、作者が敬愛する名作へ果敢にチャレンジした作品と解すべきではないか。
特に、二転三転するアクロバチックな論理部分はユーモアまじりで、かつ説得力があり、次々に明らかになる登場人物たちの意外な側面の発露と相まって、オリジナルの推理部分以上の興奮がある。
クリスチアナ・ブランドの「ジェミニイ・クリケット事件」や、ハリー・ケメルマン「9マイルは遠すぎる」など、論理部分の遊戯性を楽しむミステリー好きには、この展開の醍醐味が分かるはず。
本作が、オリジナル作品に肩を並べるような意外な秀作になっているのも、こういうミステリー部分へのこだわりなど、随所に作家独自の鋭い人間観察力やアイデアがふんだんに加わっており、単なる「映画好きのお遊び」で終わってないからだと思う。
オリジナル作品が民主主義の長所をミステリー劇の形で現出したヒューマンな作品だとすると、本作の方は、日本人の議論下手を一見揶揄するように見せながら、徐々にそんな彼らの中に眠っていた意外な透察力や正義感を浮き彫りにすることによって、単純な「日本人像」をひっくり返してみせた快作とも言える。
細部に渡り非常に良く考え抜かれた脚本で、あら探しするつもりはないのだが、唯一、気になった箇所があり、それは「同一人物が二度、陪審員に選ばれることはあるのか?」ということ。
結構、クライマックスの展開に繋がる重要なポイントなので、自分自身の知識のなさが悔やまれた。
