TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

俗物図鑑

1982年、筒井康隆原作、桂千穂脚本、内藤誠脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

整形した盗聴評論家風巻扇太郎(南伸坊)はテレビ出演の帰り道、異色の評論家たちが集まっているという梁山泊プロに寄ることにする。

そこでは、代表の雷門亨介(平岡正明)、横領評論家本橋浪夫(上杉清文)、口臭評論家小口昭之助、贈答評論家平松礼子(入江若葉)、万引き評論家沼田峰子(栗林由美子)、火事評論家杉沢亜香(伊藤幸子)が謎めいたパーティを開いていたが、それは、実は天井裏に潜んで秘かに覗きをしようと企んでいたビル管理人の城亀吉(山本晋也)を騙す芝居だった。

そんなこととは知らず、乱交パーティと勘違いして参加して来た風巻は、ペアになる女を連れて来いと帰されてしまう。

天井裏にいた亀吉は天井が破れ、怪し気な評論家連中の集まる部屋へまっ逆さま、あげくの果てに、放火癖がある亜香から上着に火を付けられてしまう。

そんな怪し気な評論家である彼らも、書く本は売れているらしく、出版者の人間(末井昭)が各著書の売れ行きを報告に来たりしている。

そんな梁山泊プロに、ある日突然、全身皮膚病に侵された老人芥山虫衛門(牧口元美)が訪れ、半ば強引に疥癬評論家として居着くことになる。

その頃、反吐評論家の片桐(山城新伍)は沼田峰子と共に「昼下がりレディズショー」というテレビ番組で、あななたちは単なる犯罪者ではないのかと詰め寄る俗悪番組追放婦人同盟代表(興石悦子)、主婦連代表(吉田京子)、全国PTA協議会代表(小野靖子)らと対決していた。

さらに「ミッドナイトショー」という番組では、彼ら梁山泊プロの怪し気な評論家連中をバカにしていた文芸評論家(四方田犬彦)と対決、片桐は理路整然とした反論によって、相手をぐうの音も出ないほどいい負かしてしまうのだった。

そんな仲間のテレビでの活躍を、頼もしく見守る雷門。

後日、羽田空港では手荷物受取所で爆発事故が発生。

それは爆弾好きの羽根田俊也(添田聡司)の荷物だったのだが、彼の性癖をかねてから知っていたという、自殺願望のある九十九八十八(大林宣彦)から声をかけられ、一緒に互いの事を告白しあっていた所を、偶然、同じ喫茶店にいた片桐と亜香に聞かれ、二人は各々「墜落評論家」「自殺評論家」として梁山泊プロにスカウトされることになるのだった。

そんな雷門の元へ息子の 豪介(黒岩秀行)が現れ、カンニングで大学に通ったと報告に来たので、雷門は、彼を「カンニング評論家」としてスカウトする一方、評論家の入社試験も試みる。

一方、風巻も又、バーで知り合った美女が、わざとあらゆる性病にかかっているという女医であることを知り、彼女を「性病評論家」としてスカウトする。

そんな梁山泊プロの悪のり振りに、マスコミの注目も過熱。

とうとう、テレビ番組での対決を越えて梁山泊プロに乗り込んで来た主婦連代表たち三人の飲み物に、雷門たちはヤクを仕込み、結果、卑猥な行動を取ることになった三人の夫人たちの醜態は、そのまま外から狙っていたマスコミのカメラで全国へ流されてしまうのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

評論家を徹底的に風刺した筒井康隆の原作を、出版関係者などが多数出演して映画化した作品。

どう考えても、映像化してメリットがありそうな内容とは思えないし、出演者の半分以上が素人ということもあって、業界仲間内のお楽しみ演芸会といった趣。

山城新伍扮する反吐評論家と取っ組み合いの喧嘩をするシーンの文芸評論家役四方田犬彦など、明らかに相手の真面目な演技に「素」で笑ってしまっているのがそのまま映し出されている。

さすがに、頭が切れ、人を喰った感じで一時期テレビの人気者だった山城は適役。

皮肉なことに、下手にこういうプロが混ざっているため、他の素人の下手さ加減が強調されてしまっているようにも見えるが、その辺は御愛嬌ということか。

お馴染みの声色で、かなり出番が多い南伸坊や、悪のりキャラ振りが浮いている大林宣彦監督、レポーターの街角インタビューを受ける青年役を演じている手塚真君などは印象に残る。

梁山泊プロの入社試験に現れる自称映画評論家(石上三登志)が、映画の蘊蓄を自慢そうに話すのに対し、「君は北の湖に勝てるのか?」と雷門たちから切り返されるのがおかしい。(一見、ナンセンスな受け答えに聞こえるが、実は「映画評論」が単なる「オタクのたわごと」であるということを見抜いて茶化している)

映画そのものは「珍品」というしかない出来だが、確かに一時期テレビに良く登場していた「〜評論家」なる意味不明な職業は消え失せ、その後「コメンテイター」に替わってしまった事実を考えると、今さらながら、作者の慧眼に驚かされるのみである。