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楊貴妃

1955年、大映、陶秦+川口松太郎+依田義賢+成澤昌茂脚本、溝口健二監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

老いた上皇(森雅之)が、息子である皇帝から寂しい西宮に移るよう命ぜられ、部屋に飾られた彫像に楊貴妃の面影を追っている所から始まる。

時は遡り唐の時代、愛妻武恵妃を亡くし、その哀しみから、政治をも忘れて沈みがちの玄宗皇帝(森雅之)に宰相李林甫(石黒達也)は困っていた。

側近の高力士(進藤英太郎)は、自らの出世の腹づもりもあって、何とか帝の関心を惹こうと、料理屋を営む楊5人兄弟、銛(山形勲)、国忠(小沢栄)、翠花(霧立のぼる)、緑花(村田知英子)、紅花(阿井美千子)の美人三姉妹を独りづつ側女として接見させるが、とうとう一人も帝の興味を惹くことは出来なかった。

国忠も又、妹たちを利用して立身出世を願っていた一人だったのだ。

そんな楊家の料理屋に、馴染みの安祿山先生(山村聡)がやって来て、下女として働いている一人の少女に目をつける。

聞けば、腹違いの妹の娘、玉環(京マチ子)だという。

その容貌を見た安祿山先生は、彼女が武恵妃にそっくりな美女だということに気づき、自らの立身出世の野望のチャンスとばかりに、彼女を、武恵妃を皇帝に紹介した延春郡主(杉村春子)に合わせ、宮廷に見合う女として磨かせると、機会をうかがい、高力士を通じて皇帝に会わせようとする。

そんな高力士の策略に常からうんざりしていた皇帝だったが、寝室に忍んでいた玉環の正直な人柄に触れ、急速に心惹かれるようになって行く。

皇帝は、若い頃自分が作った法律に今や自分が縛られ、自由がない生活に倦み疲れ切っていたのだったが、そういう孤独な気持ちを良く察し、いたわり、尽くし抜く玉環を皇帝は溺愛するようになり、やがて玉環は楊貴妃となり、楊国忠は願いかなって今や大臣に起用され、三姉妹も又、三国婦人として贅沢な生活を送れる身分になっていた。

しかし、そういう楊家の栄達と贅沢な暮らし振りに、重い税金を搾り取られていた民衆の怒りの鉾先が向うようになる。

さらに、不満分子が一人いた。

都、長安での出世を夢見ていた安祿山である。

彼も又、玉環を見い出した功労を報いられ、三軍を束ねる将軍に出世していたのだが、辺境の北部を防衛する身分に変わりはなかったからである。

やがて、その安祿山は謀反を企て、兵を都長安へ進行させる。

さらに、そんな謀反軍に立ち向かうこともせず、遁走した皇帝のふがいなさは、みんな、楊貴妃をはじめとする楊家の存在にあると憤った近衛兵たちも叛乱を企てることになる…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

溝口健二監督が始めて撮った総天然色作品で、大映と香港のショウ・ブラザースとの合作映画でもある。

溝口監督の作品であるから、歴史物とはいえ、決して動的、劇的な要素を見せるものではなく、あくまでも人間心理を静的に描いてある。

よって、衣装やセットなどの美術を楽しむ他は至って地味な内容。

楊貴妃の生い立ちから最後までを、彼女を愛し抜いた玄宗皇帝の回想という形で描いている。

そのために、彼女は、最後まで皇帝に献身的に尽くしてくれた素晴らしい女性として、かなり美化した形で描かれていくことになる。

彼女は音楽や舞踏の才能に優れ、 本来慎ましやかで決して贅沢等を望んでいたのではなかったが、ただ身内の出世欲を満足させるために自らが犠牲になってしまった…という、悲劇のシンデレラストーリーになっているのだ。

よって、ドラマとしては華やいだ感じは少なく、かなり重い展開になっている。

印象に残るのは、皇帝という位の終始孤独な姿。

皇帝の心を慰めるものはただ趣味の音楽しかなく、結局彼にとっては、楊貴妃との出合いも、しょせんは武恵妃との出合いと同様、うたかたの夢にしか過ぎなかったのではないか。

そんな皇帝の孤独に殉じた形の楊貴妃の愛の悲劇。

二人が最後にたどり着いた安らぎの地とは…。

寓話のようなシンプルさが心に残る。