2005年、角川、三池崇史監督作品。
「妖怪は、他人を憎んだり、復讐なんかをする人間ほど落ちぶれてはいない」という皮肉めいたメッセージが込められているので、基本的に本作は「妖怪が悪と戦って倒す映画」ではない。
旧大映の「妖怪大戦争」(1968)の名前だけ借りた、全く異質の作品である。
大体「鬼太郎」にしたって、悪い妖怪と戦うなんて通俗なヒーロー設定になったのは、少年雑誌に載るようになってからであって、その辺、作者の水木先生もバランスを取るために、大人向け雑誌では、ビビビのねずみ男に鬼太郎のヒロイズムをからかわせたりしている。
妖怪は、正義だの悪だのといった人間臭い世界とは、本来無縁の存在なのだ。
一方、「帝都物語」の魔人加藤保憲は、人間文明の負の象徴みたいなものであって、旧大映作品の「妖怪大戦争」のダイモンみたいな「単なる悪い妖怪」といった単純なものでもない。
だから、最初からこの作品、加藤と妖怪たちは各々噛み合わない世界の住人であって、その両者を使って「勧善懲悪アクション」にはなりようがないのである。
では本作はどういうものなのかといえば、有名な妖怪キャラや人気の悪役加藤が一同に会する「妖怪スター共演お祭り映画」そのもの。
もともと、作家の宮部みゆきさんが、子供の頃観た「妖怪大戦争」って面白かったね…と洩らした一言が、たまたま大映を買収しようとしていた当時の角川歴彦氏の耳に入り…というのが、企画の発端だったというのだから、正に「瓢箪から駒が出た」類いの冗談映画である事は歴然としている。
だから、そんな映画を理屈で追おうとしても意味がない。
加藤がいくらシリアスな演技をしていたにしても、それは加藤のキャラを記号的に表現しているだけで、特段、この物語独自の主張がある訳ではない。
だから、物語後半の展開にリアリィティがないのも当然なのである。
あえてマニアックな深読みをすれば、「帝都大戦」(1989)で加藤の宿命のライバル辰宮雪子を演じた南果歩が、今回、加藤と戦う事になるタダシの母親役という所に暗示的なものを感じないでもないのだが…。
妖怪が見える(と、俗にいわれる)短い子供時代の、夢とも現実とも判別しにくい一夏の冒険物語を、観客も夢とも現ともつかぬ気分で楽しむ…それが本作の主題であると思う。
そして、そういう「お祭り映画」を三池監督は、独特の冗談ノリで楽しい作品に仕上げている。
モデルアニメのようにギクシャクとした機怪たちのキモカワイさ。
いかにも人形にしか見えないスネコスリのちゃち可愛さ。
そして、ベテラン近藤正臣や竹中直人、ナイナイ岡村、そして阿部サダヲらが延び延びと演じている妖怪の愉快さ。
石橋蓮司など、「IZO」に次いで今回もセリフのない目立たない怪役を良く演じている。
又、川姫役の高橋真衣やアギ役の栗山千明を、わざとエロティックに描いている所にも注目したい。
さらに、祖父役の菅原文太の飄々とした存在感。
嶋田久作の当たり役として定着していた加藤を、新たに演ずるトヨエツは、一時期よりかなり太った印象はあるが、それなりに雰囲気を出していたと思う。
妖怪映画というより、レトロなモンスター映画のイメージも混入し、ゴッタ煮風になった本作は、古い妖怪世代にも新しい子供達にも、理屈抜きに楽しめる作品になり得ていると思う。
