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タイムマシン('02)

2002年、アメリカ、H・G・ウェルズ原作、ジョン・ローガン脚本、サイモン・ウェルズ監督作品。

1959年のジョージ・パル製作、監督版の「八十万年後の世界へ タイムマシン」に次ぐ、H・G・ウェルズ原作の古典SFの2度目の映画化作品。

監督が、その原作者の曾孫であることでも注目された。

話の大雑把な骨格はおおむね原作にそっているといって良いし、明らかに有名なジョージ・パル版のイメージを踏襲している箇所もある。

基本的には、極端な貧富の差が生まれていた19世紀末のイギリスの世相を背景として生まれた空想なので、舞台をアメリカに移した段階で、原作本来の意味が失われて単なる異境冒険活劇になってしまっているのは仕方ないにせよ、惜しむらくは、出来上がったイメージが「タイムマシン」ではなく「猿の惑星」のイメージにあまりに似てしまっていること。

これは、蛮人と化したモーロック族の見た目や動きが平凡な猿人イメージに似ているというだけではなく、外見の美しさとは裏腹に、気力、好奇心等を失ったエロイ族を普通の人間(何故か有色人種ばかり)に近づけてしまったため。

主人公に「この種族を救わせたい」と思わせるためにそうした変更を加えたらしいが、これでは、単にモーロックが悪役モンスターになっているだけではなく、 有色人種を「救ってやりたい種族」のイメージに使っているということは、逆に「白人の差別意識、思い上がり」にも感じる。

また分かりやすさのためとはいえ、すでに滅びているはずの英語の発音を、エロイができるという辺りにも疑問を感じる。

いくら文字が残っていたにせよ、私たちに古代文字の発音等が分からないように、エロイにその読み方が分かるはずがないからである。

同様に、原作では時間旅行者となる科学者が、未来の現象を自分なりに推測して説明しているのだが、本作では、その説明役として、いくつか新しいキャラを加えている点が気になる。

冒頭の婚約者とのエピソードも、主人公がタイムマシンを作ることになる「動機」の説明用なのだろうが、これは割と成功しているように思う。

ただ、未来で登場する二人の説明用キャラに関しては…。

確かにナレーションなどで主人公の推理を説明するよりは、視覚的にも面白いと思うのだが、新キャラの存在に違和感や矛盾点を感じることも事実。

タイムマシンそのもののデザインがジョージ・パル版を踏襲していることはともかくとして、時間旅行の視覚効果に関しても「パワー・オブ・テン(地上の物体からワンショットで宇宙空間までカメラが引いて行く映像)」など、あまりにも有名な手法をそのまま使ってしまっているなど、独創性に疑問を感じる部分もある。

大衆により分かりやすく、説明に説明を重ねた結果、通俗なアクション映画になってしまった…という事だろう。

見世物映画としてそこそこ時間つぶしにはなるが、余韻も気品も、ジョージ・パル版には遠く及ばなかったような気がしてならない。