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怪傑ハヤブサ

1949年、映画配給、有吉光也原作、山田直脚本、ハヤブサヒデト監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

世の中にはギャング団が横行していた。

そのギャング団の一味、村上が支配人をしているキャバレーの一室では、マンドリンを弾く新人六を子分が村上に紹介している。

村上は、誓約書にロクの名前を書かせ、これを一旦書いたら、もう後戻りは出来ないと脅かすのだった。

その誓約書には、一味のメンバー名が全員記されているので、警察の手に渡ると大変な事になるし、今現在、覆面姿の謎の男ハヤブサがそれを狙っているというので、村上の情婦おみつは、そんな危険なものは早く処分しろと忠告するのだが、子分たちへの示しがつかないと、村上は頑固に所有していた。

そんなキャバレーの外を見張っていた子分たちは、となりのビルの屋上から、こちらのビルの屋上へと張られた綱を渡って忍び込んでくるハヤブサを発見、直ちに銃撃で綱を切るが、ハヤブサは切れた綱にぶら下がっており、その綱を別の子分がナイフで切断する直前に窓から室内に侵入してしまう。

無造作に机の上に置いてあった誓約書を掴んだハヤブサは、子分たちとか苦闘した後、窓から外へ投げ捨ててしまう。

外の道に落ちた誓約書を拾って、すぐに車に乗ってその場を立ち去ったのは、キャバレーのダンサー、ハルエであった。

たちまち姿をくらましたハヤブサの正体を掴むべく、村上の子分たちは調査を始めるが、そのうちの一人が、ハヤブサにそっくりな自動車修理工の新太郎という男を見つけたと電話連絡してくる。

その男には、シンスケとトンペイ(有島一郎)という間の抜けた仲間がおり、ハルエも彼の事をハヤブサと思い込んでいるらしく、いつも親し気に付き合っている。

そのハルエには小学生のケンイチがいるというので、村上はさっそく、そのケンイチを誘拐してくるようにロクやおみつに命ずるのであった。

ハヤブサごっこの相手を探していたケンイチは、村上の子分にまんまと騙され、車に乗せられてしまう。

さらに、弟が事故にあったと知らされたハルエは、誓約書を気づかれぬようにトンペイたちに預けると、おみつに連れられて村上の所へ連れて来られるのだが、ハヤブサだと思われる新太郎を誘き寄せる手紙を無理矢理書かされる事になる。

やがて、工場に戻って来た新太郎は、そのハルエの書いた手紙に誘われて出かけるのだが、ハルエが彼に託した誓約書はいつの間にか紛失していた。

実は、その誓約書をこっそり盗んでいたのは、クズ拾いを生業としていたマンドリンの六のおじだったのだが、彼に呼出され、足を洗って堅気になれと諭されていた六は、誓約書をおじが持っている事を知ると、そのおじを村上に売って手柄にするのだが、その謝礼は決して受取ろうとはしなかった。

さらに、おびき出されて来た新太郎も、ハヤブサとは思われない弱さで、村上の子分たちに徹底的に痛めつけられて帰される。

その頃、キャバレーの一室でハルエに襲いかかろうとしていた村上の前に、又してもハヤブサが現れ、ハルエを連れ去って行くのであった。

一方、おみつは、自分の弟に年格好が似た六に興味を示し、彼と一緒に、村上の元を逃げようと誘い掛けていた…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

ビルの屋上から張られた綱を滑り降りたり…といった、サーカスの曲芸まがいのスタント技を披露する覆面バイクヒーローが活躍する、子供向け連続活劇。

「大跳躍篇」「鉄壁突破篇」「海上猛闘篇」「解決篇」の全4篇からなる。(「海上猛闘篇」の前半部は音源が失われている)

ハヤブサのスタイルは、バンダナを巻いた頭にローン・レンジャー風のマスクをしたヒーローがバイク(陸王?)に乗っている感じ。
ダグラス・ファアバンクスの「奇傑ゾロ」(1920)のようなイメージでもある。

主人公のそばにはいつもヒロインがいて、子供がいて、三枚目の仲間がいて…というのも、いかにも典型的なお子さま向け設定だし、 ハヤブサが登場する時には、テーマソングにもなっているオッフェンバッハの「天国と地獄」行進曲が必ずかかるのが、いかにもヒーロー物という感じで楽しい。

タイトル部分で怪傑ハヤブサの役者名が「?」になっていたり、巻の終りに毎回、やはり決まりごとのように「?」が出てくる所等も、いかにも昔のヒーロー物らしいが、悪人の乗った自動車をバイクに乗ったハヤブサが追跡している様子等は、明らかに後年の元祖テレビヒーロー「月光仮面」そっくりである。

ストーリー自体はたあいないというかメチャクチャというか、おそらく、きちんとした構成や展開を考えた上で撮影しているのではなく、その場その場の思いつきで作っているとしか思えず、考えながら観ていると矛盾だらけで、辻褄のあわない部分も数多く、ここまでバカバカしいとただ笑って観ているしかない。

ハヤブサは警察の手伝いをしているらしく(時々、草むらから警察所長に電話をしている)、ギャング仲間たち全員の名前が記された誓約書をこっそり手にいれて警察に渡してしまえば、それで事件は簡単に解決するはずなのだが、何故かハヤブサ、人目が多い時にしか現れないし、折角手にいれた誓約書も、どういう訳か、なかなか警察の手に渡らない。

どうも、ハヤブサ、何かしっかりとした計画を立てた上で行動している風ではないのだ。

ヒーローというより、ただの「目立ちたがり屋」なのかも知れない。

その誓約書があっちに行ったり、こっちに行ったり…というのが、いわば話の骨子なのだが、今の感覚で観ていると、そういう展開にハラハラするどころか、ヒーローもヒロインも悪役も、全員がやる事なす事間が抜けており、誰にも知性のかけらも感じられない所が観ていて情けない。

一風変わった悪役で印象的なマンドリンの六という青年も、途中からどうなったのか分からなくなるのも御愛嬌なのか。

ギャングの親玉の村上を演じているのは、ちょっと天津敏を連想させるような強面の大男。
しかし、その彼も、外見ほどには悪らつな行為はしていないように見えるので、勧善懲悪物としてはものたらなさを感じる。

メインの人物たちがこうなのだから、これがデビュー作らしい三枚目役の有島一郎(吹き替えの声は別人の物と思われる)など、今では差別表現と受取られかねないようなひどいキャラクターになっている。

それでも、ビルの屋上の綱渡りや、ボートでの追跡劇、燃える小屋に突っ込むバイクヒーロー等、当時としては思いきったアクションが呼び物だったのだろう。

理屈で観るのではなく、あくまでも昔の「動く実写漫画」と解釈して接する方が良い作品だろう。