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ひめゆりの塔('95)

1995年、東宝映画、仲宗根政善+水木洋子原作、加藤伸代脚色、神山征二郎脚色+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

昭和19年7月、サイパン島玉砕。

同じ頃の沖縄、師範学校女子部と第一高等女学校の寮では、女生徒たちが疎開目的もあり、次々に親のいる離島等に帰っていた。

寮の舎監を勤める宮城先生(沢口靖子)と、沖縄の方言を研究している仲宗根先生(永島敏行)は、そんな女生徒たちに慕われていた。

しかし、そうした生徒たちの疎開行動を快く思わない山岡部長(石橋蓮司)は、一人職員会議で非難していた。

国に奉公せねばならぬこの非常時に、将来は教師になるはずの師範学校生が、自ら疎開のため家に帰るとは何ごとかというのであった。
すぐに、学校に戻らぬ場合は、奨学金を全額払戻させるとまでいう。

生徒たちの安全を願う他の教師たちは、この山岡の言動に苦りきっていたが、面と向って反論するものは少なかった。

結局、離島に帰省した生徒たちには全員、至急学校に戻るよう電報が打たれ、反対する母親らを振払うように生徒たちは戻ってくる。

かくして2学期は普通に始まるが、10月10日那覇が大掛かりなアメリカ軍の空襲を受ける。

昭和20年2月、彼女たちは看護実地訓練を受けた後、つかの間の休息時間を合唱で癒していた。

そして迎えた3月23日、アメリカ軍の沖縄に対する一斉艦砲射撃が開始される。

師範学校女子部と第一高等女学校の生徒「ひめゆり学徒」は南風原の陸軍病院へ、学徒看護婦として派遣される事になる。

南風原では、上原婦長(熊谷マミ)に指導を受けながら、はだちに外科壕での看護が始まる。

7号壕の担当になった渡久地泰子(後藤久美子)は、そこの病床で、学徒出陣で乗った船が撃沈され、戦争に参加する前にすでに負傷兵となってしまった大杉少尉(高嶋政宏)に出会う。

5月4日、泰子は爆撃にやられ足を負傷してしまう。

5月24日、すぐ近くの雨乞い岳にアメリカ軍の姿が現れたというので、仲宗根たち第一外科隊は7号壕から糸洲への移動を命じられるが、負傷した泰子を連れて行く事は出来なかった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

1982年の今井正監督自身によるリメイク版「ひめゆりの塔」では監督協力として参加していた神山征二郎氏が監督した戦後50周年記念作品。

米軍艦隊の沖縄への一斉砲撃が開始された昭和20年3月24日から始まる今井監督版に対し、本作では、その半年前から物語が始まり、終盤も、今井版より後の様子まで描かれている他、登場する人物像やエピソードなども、基本的には今井版を踏襲しながらも、全体的に若干アレンジを加えたような内容に変更されている。

1953年今井監督版では香川京子、渡辺美沙子、1968年日活、舛田利雄監督版「あゝひめゆりの塔」では吉永小百合、和泉雅子、梶芽衣子(当時:太田雅子)など、印象に残る「ひめゆり作品」には、見るからに瞳に力がある中心的な女生徒の存在があったものだが、1982年版や本作には、残念ながら、そういった強烈な印象を残す女生徒役がいない。

あえて本作でそういった女生徒役を探すと、ゴクミ(後藤久美子)演ずる渡久地泰子であろうが、残念ながら彼女の役は、1953年版では渡辺美佐子、1982年版では大場久美子が演じた富安良子(安富良子)役に近く、仲間や教師たちが全員別の場所へ移動した後、外科壕に独り取り残される負傷した女生徒役であるため、動きまわるシーンが多い他の女生徒たちに比べると印象が地味である。

さらに、最初は主役かと思われた宮城先生役の沢口靖子も、途中から、敵のガス弾攻撃で脳障害を負ってしまった二人の女生徒と共に、第三外科隊とは別行動を取りはじめるため、物語の中心から外れてしまう印象がある。

つまり、ひめゆり学徒の中核となる女生徒側にもそれを引率する教師側にも、途中から、これといった華になる中心人物が存在しなくなるのだ。

軍医や軍人たちの中にも、これといった印象的な人物は存在せず、後半は、1953版の玉井先生と平良先生(1982年版では具志堅先生)をミックスしたような役柄の仲宗根先生役永島敏行がメインとなり、その役名が本作の原作者と同じ名前なので、おそらくこの部分が今井版に新たに加えられた要素だと思われるのだが、残念ながら、これがさほど印象的なエピソードになっていない。

結果的に、1982年版同様、全体的に魅力的な人物がいないため、印象に残りにくい作品となっている。

爆撃シーン等、絵柄的には大迫力なのだが、何故かこれも、戦争の臨場感、恐怖感に今一つ繋がっておらず、単なる見世物描写の域を出ていないのも残念。

全般的に、従来の「ひめゆり映画」の中では、一番悲惨な描写に突っ込みが甘く感じられ、それが結果的に生きる喜びを表現しているシーンをも弱めてしまっているように思える。

当時の戦況や沖縄の地理に疎い観客のため、字幕等でかなり丁寧な説明が加えられているため、分かりやすいテレビドラマスペシャルでも観ているかのような印象はあるが、映画としては、何か今一つ魅力不足といわざるを得ない。