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ヘラクレス

1997年、アメリカ、ボブ・ショウ+ドナルド・マッケンリー+アイリーン・メッキ脚本、 ロンクレメンツ+ジョン・マスカー脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

古代ギリシャの時代は英雄たちの黄金時代であった。

タイタンと呼ばれる巨大な怪物たちが地上を暴れ回っていたので、神ゼウスは稲妻を投げて、かれらを地底の牢獄へと葬り去った。

そして、神々が住むオリンポスの山は快適な日々が続くことになるのだが、そんな中、ゼウスと妻ヘラとの間に息子のヘラクレスが生まれる。

父ゼウスに似て、赤ん坊のヘラクレスも生まれつき超人的な怪力の持主だった。

そんなヘラクレスの誕生祝いに使者の国から訪れた闇の太守ハデスは、自分の国に戻ると、人間の寿命を司り、未来の眼を見通すことができるという三人の魔女を招き、世界を支配しようとする自分にとって、ヘラクレスの存在は邪魔になるかどうか占わせるのだが、18年後の惑星が一直線に並ぶ年、タイタンを解き放て、ただし、お前は、ヘラクレスと戦って破れるだろうと告げられる。

怒ったハデスは、虫の化身である手下のペインとパニックを呼んで、ヘラクレスを人間にする薬を飲ませろと命ずるのだった。

神は絶対に殺せないからであった。

さっそく、オリンポスから赤ん坊のヘラクレスを誘拐して地上界へ降りて来たペインとパニックは、赤ん坊に人間になる薬を飲ませるが、最後の一滴をのみ残したところで、近づいて来た農夫の夫婦に発見されてしまう。

かくして、赤ん坊ヘラクレスは人間となり、拾われた夫婦に育てられることになるのだが、魔法の薬の最後の一滴を飲まなかったことで、怪力だけは残されることになる。

しかし、この怪力が、成長して青年になったヘラクレスには悩みの種で、他の仲間たちと遊ぶことも出来ず、ある日とうとう、街全体を崩壊させてしまうことになる。

町の住民たちからも非難され絶望したヘラクレスに育ての両親は、彼が捨て子だった事実を話し、それを聞いたヘラクレスは自分探しの旅へ出かけることになる。

神殿に安置してあるゼウスの巨像に悩みを打ち明けたヘラクレスは、その巨像が実体化し、お前は、我がゼウスの息子なのだと聞かされ驚愕するが、神に戻るには、人間界で真のヒーローになれ、そのためには、ピロクテテスという人物に出会うことだと聞かされたヘラクレスは、赤ん坊時代にプレゼントとしてゼウスから贈られ、その後会っていなかったペガサスと再会し、二人して、ピロクテテスの住む島に向う。

数々の英雄を育てながらも、一人として完璧なヒーローにはならなかったことに懲り、今は引退同然の生活を贈っていた半人半獣のピロクテテスは、ヘラクレスの並外れた怪力の才能と説得に負け、彼をトレーナーとして鍛えはじめる。

苦難に耐えたヘラクレスは、小手試しのためテーベの町へと向うのだが、その途中で、ネッソスという半人半獣の化物に捕らえられていたメガラ、通称メグを救い出し、彼女に一目惚れする。

しかし、実はメグは、かつて愛した男に裏切られたことで、男を全く信用しなくなり、心を売ってハデスの手下になった女なのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

大半の日本人には今一つ馴染みの薄い(実は日本でも1963年にフジテレビ系で「マイティ・ハーキュリー」のアメリカ製アニメが放映されていた事があったのだが…)ギリシャ神話の英雄「マイティ・ハーキュリー(ヘラクレスの英語読み)」の活躍を描くミュージカルアニメ。(劇中では、はっきりハーキュリーと呼んでいる)

ちなみに、ヘラクレスはギリシャ風の読み方、フランス語読みだと、名探偵エルキュール・ポワロのエルキュールである。

冒頭のミューズたちによるノリの良いゴスペルから始まり、相変わらず、軽快で親しみやすい音楽とテンポの良い展開は、いかにも近年の量産型ディズニー作品らしくそつなくまとまった作品といえよう。

しかし、その「そつのなさ」が逆に、観ていて心に何も引っ掛からない原因になっているような感じもある。

神話の世界を描いたものだし、ミュージカル形式だから当たり前といってしまえばそれまでだが、典型的なヒーロー、典型的な悪役、典型的なコメディリリーフたち…、何もかもが「パターン通りの配置」で、東映動画の名作「わんぱく王子の大蛇退治」(1963)など、すでに何十年も前にこの手の発想を通過し、今や複雑な人間ドラマを描く日本のアニメを見慣れた眼からすると、その底抜けの楽天さや単純な展開がバカバカしくさえ映る。

ディズニーは今頃(といっても、すでに10年近く前だが)こんな事やっているのかという冷めた印象すら覚えるくらい。

劇中で、いかにもディズニーっぽい動物キャラに化けたペインとパニックを、「ディズニーランドへでも行くのかい?」とメグがからかったりしている部分に、内部の自虐意識を垣間見るような気がするし、訓練中のハーキュリーが、1984年の「ベストキッド」のパロディポーズをやったりしていたりするお遊びににしても、製作時期からいっていかにもズレているというしかない。

とにかく全体的に感覚が古すぎるのだ。

この作品の後、日本のアニメ風の作品を作ったり、あれこれ試行錯誤を繰り返したようだが、結局、この手の古臭い感覚はさすがに本国でも飽きられたのか、ピクサーなどに代表される今風の3DCGアニメに人気を奪われてしまったのも仕方ないような気がする。