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珍品堂主人

1960年、東京映画、井伏鱒二原作、八住利雄脚本、豊田四郎監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

珍品堂主人(森繁久彌)は骨董屋ではない。

元学校の先生で美術観賞家だったのだが、足利時代の作であると思しきとある灯籠に巡り会って以来、自分も周囲も認める鑑定の名人といわれるようになっていた。

妻(乙羽信子)はいるのだが、最近、新橋の料理屋「三蔵」の女将(淡路恵子)と付き合っている。

そんな珍品堂に懇意の骨董屋宇田川(有島一郎)から連絡があり、富豪の九谷(柳永二郎)に唐三彩の壺を売りたいので、いつものように鑑定人としてあって欲しいと依頼される。

鑑定相手からは鑑定料、骨董品が売れた場合は宇田川からリベートをもらえるという仕組みに、珍品堂はいそいそと九谷邸へ出向くのだが、そこで見知らぬ美貌の女性と出会い心惹かれるのであった。

後に珍品堂、その九谷の所有していながら使用していない屋敷を借り受けて、高級料亭を作るアイデアを持ちかけ、あっさり了承されることになるのだが、「途上園」と名付けたその料亭建設を始めるに当って、九谷と懇意の商業美術家、蘭々女史(淡島千景)を紹介されるのだが、それがあの時の美貌の女性だった。

屋敷の改築やお座敷女中の採用試験も経て、いよいよ、珍品堂は「途上園」の支配人、蘭々女史は相談役、そして彼女の強い希望で、彼女がお茶を教えているお千代(千石則子)が女中頭に納まることになる。

「途上園」は好調に活況を呈し、珍品堂も客の料理の手配から一切を取り仕切っていたのだが、その内だんだん、蘭々女史の態度に変化が生じはじめてくる。

彼女から「白鳳仏」を持っていると持ちかけて来られた珍品堂は、その品物に一目惚れし、あろうことか、今まで、どんなことがあっても、手放すことはしなかったあの自慢の灯籠を売って、その金で「白鳳仏」を蘭々女史から買うのだが、後に、その仏像が真っ赤な偽者であるという話を聞き、おしとやかな淑女だとばかり思い込んでいた彼女が、実は金に汚い俗物であることを知る。

さらに蘭々女史は、女中の利根(峯京子)と怪し気な関係になり、その利根が島々(山茶花究)なる常連客と付き合いはじめると、今度は、出入りの呉服屋のアルバイト学生佐山(高島忠夫)と恋人関係であった喜代(小林千登勢)に手を出すようになる。

スポンサーである九谷の口利きから、今や「途上園」の顧問となった蘭々女史は、動作医者のようになって行き、珍品堂を使い走りのようにこき使うようになる。

さらに、喜代の態度も大きくなり、支配人たる珍品堂の存在さえバカにするようになって行く。

蘭々女史の横暴は「途上園」従業員一同の反発を呼び、会計係の佐々(林寛)が些細なミスで解雇を言い渡されたことがきっかけとなり、珍品堂を巻き込んでストライキに突入することになるのだが…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

骨董も女性もとことん惚れ抜く趣味人珍品堂が味わう事になる、苦い人生経験を描いた作品。

変な性癖を持ち、権力と金に汚い俗物でありながら、表面上は魅力的な美女を演じる淡島千景と、彼女の性悪さに嫌悪感を覚えながらも、反面、惹かれる気持ちも捨てきれない複雑な男心を演じてみせる森繁の芝居が見ごたえがある。

そうした大人のどろどろと奥深く複雑な恋愛世界を、ユーモアを交えながら飄々と描いているのが本作である。

登場する役者も多彩だが、特に人間臭い女中を演ずる都家かつ江や小林千登勢が生き生きとしている。

同じく女中の一人を演じている市原悦子など、ほんの小娘といった印象。

骨董の世界は真贋見分けにくい世界。

それを本作では大人の男女関係にダブらせているわけで、結局、「絶対的な真贋評価」などに惑わされるのではなく、「自分が惚れ込んだものをとことん信じろ」という真実に珍品堂が気づく所がポイント。

何もかも失った珍品堂が久々に戻った自宅で、能の面をかぶった妻の姿を見て急に謡い出し、妻も何もいわずに踊り出すという辺りの、あうんの呼吸を見せるシーンが絶品。

物を見極め、愛し抜く境地に達した珍品堂が最後に選択するのは、女か骨董か…?

正に大人向けのドラマの秀作である。