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山椒大夫

1954年、大映京都、森鴎外原作、八尋不二+依田義賢脚本、溝口健二監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

平安朝末期、陸奥の国守だった平正氏(清水将夫)の妻、玉木(田中絹代)と、二人の兄妹、厨子王(加藤雅彦=津川雅彦)、安寿(榎並啓子)、そして召し使いの姥竹(浪花千栄子)は、重い使役に苦しむ農民達をかばった咎で、筑紫の国に流された正氏に会うために旅をしていた。

とある村に差し掛かった四人は、横行する盗賊、人さらいを恐れて、どこも旅人には宿を提供しないと知り、やむなく野宿をする事になるのだが、そこへやって来たのが一人の巫女(毛利菊枝)。

難儀をしている4人の姿を見かねて、一夜の宿を提供した上、翌朝には船の手配までしてくれるのだが、この巫女がとんだ食わせ者で、玉木と姥竹を先に船に乗せると、二人の子供は陸に残したまま船を漕ぎ出してしまう。

騙されたと悟った玉木たちは必死の抵抗をするが、姥竹は海に突き落とされ、玉木はそのまま佐渡へ連れて行かれてしまう。

一方、兄妹を連れた人買いは近場で買主を探していたが思うように見つからず、結局、丹後の山椒大夫(進藤英太郎)の屋敷に連れて行く事に。

右大臣の荘園を任されていた山椒大夫は、多くの奴(やっこ=男の奴隷)、婢(はしため=女の奴隷)を死ぬまでこき使う、鬼のような悪行で知られる男であったが、領地から強引に集めた税金を右大臣に納めるので、上からの信頼は熱い男だった。

まだ子供であるにもかかわらず、買われて来たその日から大人同様の仕事を強いられた安寿と厨子王のいたいけな姿を目の当たりにした山椒大夫の息子太郎(河野秋武)は、自分達の素性も名前さえも明かさぬ二人の境遇を哀れみ、厨子王には陸奥若、安寿には忍と仮の名前を与えて、とにかく辛抱しろと言い残した後、屋敷を出て二度と帰って来る事はなかった。

時が過ぎ、成人した陸奥若こと厨子王(花柳喜章)は、いつの間にか、屋敷から逃げ出そうとした老人の奴の額に焼ごてを当てる罰を平気でこなせるほどの冷たい男に変化していた。

「慈悲の心をもて、人には情けをかけろ」と幼い頃、父親から言い聞かされて来た言葉も忘れたかのような兄の様変わり振りに、こちらも成長した忍こと安寿(香川京子)は心を痛めていた。

この屋敷に来た日から世話になっていた同じ婢仲間の波路(橘公子)が病に倒れ働けなくなったので、山に捨てて来いと命ぜられた厨子王は、安寿と共に、まだ息のある波路を背負って裏山に連れて行くのだが、久々に二人きりで語る機会が訪れたその時、安寿は厨子王丸に、独りでここから逃げてくれと言い出すのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

森鴎外の小説の映画化で、ベネチア映画祭銀獅子賞受賞作品。

階級差別社会の残酷さを描く事で、人間の本質的な他人への無関心さや、環境によって人があっさり変貌してしまう弱さ、恐ろしさ、又、一時の正義感や復讐心などでは世の中は変わらないと言う事を暴いた内容になっており、あくまでも古典芸術を鑑賞するような気持ちで接しないと、暗くてつらいだけの作品と感じるかも知れない。

田中絹代以外には配役陣も全体的に地味(特にメインとなる男優陣の華のなさが気になる)だし、アクションなどケレン味のほとんどない時代劇、話そのものも救いがなく…では、いわゆる一般大衆が歓迎するタイプの作品でない事は明らかだろう。

黒澤の「羅生門」(1950)の海外受賞が思いのほか商売にも役立つと知った当時の永田大映社長が、この手の芸術作品製作に急に積極的になった背景があったにせよ、メジャー作品として、こういう作家映画を予算をかけて作る事が可能だった時代があったと言う事自体が、今考えると信じがたい気がする。

それでも、山椒大夫演ずる進藤英太郎のいかにも憎々しげな演技、少年期の厨子王を演ずる若き津川雅彦の美貌振り、そして何よりも、残酷な身分に落とされて姿は変貌しながらも、二人の子供を思う気持ちだけで生き伸びようとする田中絹代の名演技など、地味なりに見所がないではない。

ただ個人的には、ファンタジー要素など娯楽性を加え、後に東映動画でアニメ化された作品(1961)を観ていただけに、大人になった安寿を演じる香川京子や姥竹を演じる浪花千栄子の印象の薄さに、若干物足りなさを覚えたのも確か。

ちなみに本作では、安寿と厨子王の姉弟関係を原作とは逆に描いている。


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