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お染久松 そよ風日傘

1959年、瀬戸口寅雄原作、鷹沢和善脚色、沢島忠監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

油屋の娘お染(美空ひばり)と丁稚の久松(里見浩太朗)は、年も近いとあっていつも一緒に遊ぶ仲良し。

今日も、夢想家のお染を独り乗った船を、久松が道から綱で引く係。
最後は、お染のいたずらで、川に引き落とされた久松はずぶ濡れで帰ってくる。

そんなお染を憂鬱にさせているのは、連日のように自分を嫁に欲しいと父親同伴でやってくる山家屋清左衛門(瀬川路三郎)の事と、遊ぶ金欲しさに自分の着物まで盗もうとする兄、多三郎(田中春男)の存在だった。

多三郎がそんなダメ人間になったのも、女手一つで育てて来た母親(浪花千栄子)が子供に極端に甘いためであった。

多三郎は今、料亭橋本屋の小糸(雪代)にぞっこんで、その身請けのための金を何とか捻出しようとしていたのであった。

ところが、その小糸に目をつけているもう一人の男があり、それが不良旗本の鈴木弥忠太(原建策)。

その鈴木弥忠太の元中元で、今はヤクザに身を落とした鬼門の喜平(沢村宗之助)は、今は多三郎が良く利用する賭場を取り仕切っているヤクザに成り下がっており、女房のお六(星美智子)と共に、いつも、多三郎をおだてては、良い金づるとして利用していた。

そんなある日、鈴木弥忠太は、ばったり出会った喜平に、自分の剛吉光という名刀を当座の遊興費のために金に替えてくるよう命ずる。

喜平はそれを質屋も兼ねている油屋に持ち込み換金するのだが、遊びが過ぎて、家に幽閉されていた多三郎は、その金が小糸のために使われる事を知り、刀をこっそり持ち出した所に喜平と出会い、ごまかすために近くにあった野菜売りの農民の荷車に隠してしまう。

何も知らない農民は、その荷車を自分の地元である野崎の村に持ち帰るが、そこで刀の箱を発見する事に。

多三郎が刀を紛失した事を知った喜平は、それを弥忠太に注進、さらに鈴木家と取引がある山家屋も組み、この不始末を理由に油屋を脅迫し、お染と山家屋が結婚するようにしむける事にする。

窮地に陥った母親は、お染に山家屋へ嫁いでくれるように拝むが、久松の事が好きである事に気づいたお染は、何とかやって来た弥忠太と喜平に詫びを入れるのだが、折よく、野崎から久松の父親(進藤英太郎)が刀の箱を持って駆け参じ、その場は何とか収まる。

しかし、計画が失敗した山家屋の捨て台詞で、久松とお染が深い仲になっている事を聞かされた父親、思わず、久松には兄弟のように育って来たお光(美空ひばり-二役)という許嫁がいるので、今日限り久松を故郷の野崎に連れて帰ると言い出す…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

江戸時代の大阪で実際にあったできごとをベースにしたという、浄瑠璃や歌舞伎で有名な「お染久松心中もの」を、さらに大胆にアレンジした娯楽時代劇。

元々の話を全く知らなかったので、資料などと比較してみた所、主要人物やエピソードのいくつかは引用されているが、後は全くのオリジナルといって良いようだ。

「映画は東映」と書かれた広告が屋上にあるビルのシルエットを描いた歌舞伎の舞台に「東映マーク」の入った提灯が並び、白波五人男ならぬ十人の伊達男たちが居並び、そこへ花道からお嬢が登場するという冒頭から、お遊び気分満点の演出がまず楽しい。

時代劇なのに、「カーニバル」など現代語をそのまま使用していたり、最初の内はコメディタッチでそれなりに楽しく見れるのだが、もともと話の骨格が明るいものではないだけに、いくらおちゃらけても限界があり、後半は笑えるでもなし、泣けるでもなし、何となく中途半端な展開になっている。

正直、途中で飽きてくる感じがあるのだ。

それでも、ほっそりした二枚目時代の里見浩太朗の丁稚振りとか、田中春男のダメ男振り、浪花千栄子の熱演などは見物。

結末もかなり無理を感じるが、悲恋ものの感じは残しているので、女性などには感情移入できる筋立てかも知れない。