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めし

1951年、東宝、林芙美子原作、井手俊郎+田中澄江脚色、成瀬巳喜男監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

大阪市の南の外れ、天神様のはずれにあるとある長家。

三千代(原節子)は、株屋に勤めている岡本初之輔(上原謙)と東京で結婚して5年、その夫の転勤で大阪に来てから3年になるが、今の夫が、自分の顔を見る度に「腹が減った」「飯はまだか」という以外には関心がなくなってしまったかのような毎日の生活に倦み疲れていた。

初之輔は、株屋にしては自分で株に手をつける事もなく実直な亭主ではあったが、その安月給でやりくりする貧乏生活に、いつしか三千代は女として、人間としての生きる張りを失いかけていたのであった。

そんな岡本家に、ある日、初之助の姪に当る里子(島崎雪子)が、東京からふらりとやってくる。

何でも、勧められた縁談が気に喰わず、家出をしてきたのだと言う。

三千代はまず、里子の滞在が家計の負担になる事を案じるのだったが、やがて、それは20才の奔放な美少女と、彼女に優しい夫への嫉妬心へと変貌して行く。

生活苦から心がささくれだっていた事もあるが、自分だけが取り残されたように感じてしまっていたのである。

そんな三千代は、大阪在住の同級生たちと久々に同窓会で集まった帰り、喫茶店で従兄弟の一夫(二本柳寛)とばったり出会う。

その三千代が帰宅してみると、家では、里子の急な鼻血で初之輔がばたばたしている内に、買ったばかりの自分の靴を盗まれると言う事件が起こっていた。

里子の血の痕が初之輔のシャツに付いているのを発見した三千代の心はざわめく。
靴を取られても気づかないと言う事は、二人とも二階にいたと言う事だ。

三千代は、里子とベタベタして油断していた亭主への怒り、鼻血くらいで夕食の支度もせずにのんきに寝ている里子のだらしなさに対するいらだちなどをますます募らせる。

翌日、初之輔は会社で給料の前借りするのだが、うまい商売があると同僚に無理に誘われ、金持ちの接待を受けてグデングデンに酔って帰る。
その洋服のポケットからはみ出た金を見つけた三千代は、翌日、その使い道を初之輔に尋ねるが、自分の靴代と里子への小遣い用だと言う。

とうとう我慢の限界に来た三千代は、東京の実家に独り帰って、自活の道を探す決心をするのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

結婚生活の中で、徐々に自分の心をすり減らして行く事へのいらだちを感じながらも、さりとて新しい生き方を探る事も難しい現実を知る1人の女性の心の揺らめきが、淡々とした筆致で描かれている。

彼女とは対称的に、我がまま放題、自由奔放に生きている未婚の女性、里子との対比が面白い。

後半、東京の三千代の妹(杉葉子)夫婦と母親(杉村春子)が同居している家に、ずかずかと泊まりに来る里子。

里子にとってみれば、伯父さんの奥さんの実家のような所である。
親戚筋としてはかなり遠い間柄の家だと思うのだが、そんな所にまで来てしまえる無神経さが凄い。

この時は、さすがに、そんな里子にきつい言葉を投げかける妹の亭主(小林桂樹)の言葉が、自分にも当てはまる事に気づく三千代が、ちょっと里子に共感しているようで面白い。

一見、妻に対し無感心そうに見える初之輔だが、実は彼女に苦労をかけて行る事は重々承知しており、ただそれを言葉に出して感謝する事が出来ないのだ。

そういう男の甘えにも似た態度に、最後は諦めとも、諦観とも付かぬ気持ちを感じる三千代。

とはいえ、彼女は結婚生活や現実に妥協した訳ではないと思う。

何か迷いや幻想を振払い、生きる事への自分なりの決意を固めたと解釈したい。

まだまだ女性の生き方の選択肢が、極めて限られていた時代の作品である事を考えておかないといけないだろう。

いかにも、ふらふらした隣人を演じている大泉滉も印象的。