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喜劇 駅前開運

1968年、東京映画、広沢栄脚本、豊田四郎監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

昭和21年、厳しい食料配給制度で日本中が餓死寸前の状態だった。

そんな中、庶民の救世神として闇屋が横行するのは当然。

伴野孫作(伴淳三郎)、さだ(沢村貞子)、坂井次郎(フランキー堺)の闇屋三人は、偶然にも同じ列車内で知り合い、警察の臨検に一緒に捕まった事が縁になり、捕まった場所でさだの地元でもある赤羽に根を下ろす決心をする。

それから20年以上が過ぎ、今や坂井は、赤羽東口商店街でサカイスーパーを任される人間となっており、地元活性化のために、あまりに遮断機が開かず、開いた時に遭遇するのは宝くじに当るくらい稀だと言う事から「宝くじ踏み切り」と呼ばれる「開かずの踏み切り」の下に地下道を作る事、商店街から300mという近くに建設中のゴミ焼却場の撤去、地下鉄の駅誘致などを、地元の政治家花村九太郎(山茶花究)を、人気ホステスのノンコ(野川由美子)がいるキャバレーに接待したりしてしきりに陳情するが、花村の狙いは金だけのようだった。

その証拠に、同じ赤羽駅の反対側の西口商店街で地下道を作るのに反対する孫作たちからもちゃっかり金を貰って陳情を聞くふりをしている。

その孫作、実はさだの養子となり、今は西口で丸孫マーケットと言う駅を挟んだ坂井の商売敵の立場になっていたのであった。

さだに頭の上がらない孫作の唯一の息抜きは、お気に入りの染ちゃん(池内淳子)が働いているウナギ屋「染せん」に飲みに行く事。

その「染せん」と地元の銭湯の経営者で、サカイマーケットの大株主でもあるのが、いまだに独身で金の事しか興味がない原田せん子(森光子)。

その「染せん」で立場の違う自分達が同じ政治家に金を渡していた事に気づいた孫作と次郎は、花村を紹介した森田徳之助に文句を言うが、グレート赤羽コンサルタントなる怪し気な商売をしている森田は、逆に二人に地元活性化のハッパをかけるのだった。

徳之助は、自宅兼事務所のアパートの隣に住むノンコからも借金をして競輪に耽るなど自堕落な毎日を過ごしていたが、実はノンコ、そんな親子ほども年が違い、だらしない徳之助の事が嫌いではない様子。

その後、坂井と孫作は、何とかライバルに勝ちたいと値引き合戦をしまくるのだが、そんな互いの店にやって来たのが、メーカー連合会を名乗る不審な三人組。

これ以上の価格破壊をされてはメーカー側として黙認できないと、孫作側にはイメージアップ作戦と称して、さだを焚き付け、値引きを一切しない高級店として店を改装させ、坂井の店は、仕入れ、金融全てストップさせて、大株主のせん子のやる気をなくさせ、店は閉店に追い込まれてしまう。

そんな二人の窮地に、徳之助は、以前知り合った早坂珠子(佐藤友美)なる謎の令嬢風の女から仕入をしてもらえるよう話をまとめるのだが…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

駅前シリーズ22作目。

前作「駅前百年」に次ぎ、第1作を担当した豊田四郎監督の手になる作品である。

さすがにシリーズもこのくらいの時期になると、どこがどうと言うほどではないのだが、微妙にパワーがなくなっているのが分かる。

やはり一番の原因は、メインの役者が年をとり、初期の頃のような元気の良さがなくなっている事。

孫作を演ずる伴淳は当初から中年イメージだったので、さほど老けた印象はないのだが、フランキーははっきり分かるくらい容貌が変化している。

森繁も微妙に元気がなくなっており、本作の役柄の設定同様、何となくはっきりしないぼんやりとした印象になっているのが寂しい。

時代の荒波にもまれ、矛盾にまみれた住みにくい世の中になっても、独自に懸命に生きようとする、そういうどこかうさん臭く、正体不明の男の姿を描きたかったと言う意図は分かるのだが、それが、結果的に作品を面白くしているかと言われると、ちょっとためらわれるような出来になっている。

正直、喜劇としては、何となく散漫な印象に終わっている感じがする。

レギュラー陣の老いをカバーするように、藤田まこと、黒柳徹子、てんぷくトリオ(戸塚睦夫、三波伸介、伊東四朗)ら若手が登場して賑やかしく頑張っている。