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喜劇 駅前茶釜

1963年、東京映画、長瀬喜伴脚本、久松静児監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

赤城にある狸々山の呑福寺は、600年前から、狸が化けたという呑福茶釜が伝えられている寺として、毎日、観光客が絶えない人気寺であった。

そうした観光客目当てに、境内で写真撮影をしているのは、理髪店の二階に間借している写真家三室勘次(フランキー堺)、彼は寺で入場券を売っている住職(伴淳三郎)の娘さつき(若林映子)にぞっこんなのだが、当のさつきは、うどんやの息子で、ちょっと不良じみている青山太郎(立原博)の仲間らといつもつるんでおり、勘次のことなど眼中にない様子。

そんな寺の住職の所に左甚五郎作の掛け軸とやらを売付けに来たのが、古物商、珍宝堂の主人、徳之助(森繁久彌)。

そんな所に、徳之助の本家筋に当り、初恋の人でもある、お景ちゃん(淡島千景)も墓参りでやってくる。
彼女は、国定忠治の5代目の孫だと言われている女傑であった。

徳之助は今の女房お藤(淡路恵子)と結婚するために家屋敷を売ったばかりか、山林の権利までお景ちゃんに預けていたため、貧乏暮らしを強いられていたのだが、それがお藤には気に入らない。

毎日、お藤から何とかまとまった金を作れとうるさく言われる徳之助は、山を切り売りしようと、 お景ちゃんが住んでいる「お萩屋敷」を訪れるが、しっかり者の彼女は決して許可を与えようとしなかった。

そんな中、家で捕れた鼠を餌に呑福寺の裏山で一匹の狸を捕まえた勘次は、徳之助と相談し、この肉を、いつも威張っている寺の住職に喰わせてやろうと悪だくみを計画する。

狸の入った檻を川に沈めて殺そうとした徳之助は、浮き上がって来た檻の中身がいつの間にか犬に変わっているので不思議がるが、結局、狸が化けたのだろうと、そのまま料理して住職に食べさせてしまう。

実は、その犬は、ちょっと頭の弱い「うすのろの熊(熊吉立岡)」が、あらかじめ逃した狸の代わりに入れておいた、理髪店の娘みどり(横山道代)の愛犬チャコだったのだが、狸の肉だと教えられた住職は、急に様子がおかしくなり、寺に帰り着くなり腹痛を起こし、翌日から下半身の一部が「八畳敷き」のように腫れ上がってしまう。

一方、そんな寺の騒動に慌てて逃げ出した泥棒がいた。

前々から茶釜を盗もうと、テレビ作家、石山五郎と称して現地入りして様子をうかがっていた男(有島一郎)であった。

彼は、同業の男(山茶花究)も宿へ呼び寄せ、茶釜強奪の共同作戦を練りはじめる。

その頃、家でうたた寝をしていた徳之助は、売り損なって壁に下げていた掛け軸から出現した奇妙な狸男(三木のり平)から、昼間、助けてもらったお礼にと、「お萩屋敷」の蔵には、本物の呑福茶釜が眠っており、今寺にあるのは偽物なのだと教えられる。

徳之助は、翌日、蔵から実際に見つけ出したその本物だと言う茶釜で大儲けする手段を思い付くのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

シリーズ第6作。

狸がテーマと言う事で、このシリーズでは珍しくファンタジー色が目立つ内容になっている。

芸者の女将に沢村貞子、芸者染太郎に池内淳子、巡査役の加東大介など、お馴染み所も揃っているが、本作の一番見所は、勘次の旧友、小原庄平として登場するジャイアント馬場と、徳之助が見る夢の中に登場する狸御殿の歌姫、中尾ミエであろう。

狸の化身を演じる三木のり平の登場場面が、彼が主役を演じた「孫悟空」(1959)を連想させ面白い。

彼は、化ける事が上手な狸と言う設定なので、自らも気持ちの悪い女装などをして笑わせてくれるのだが、さらに楽しいのは、彼がお藤やお景ちゃんに化けるシーン。

ここは、本当の淡路恵子や淡島千景が、あたかも三木のり平が化けているように悪ふざけを演じる訳で、二人の美人女優の大胆さと度胸に感心させられる。

夢の中と言う設定ながら、狸御殿のシーンもかなり本格的に作られており、ピチピチした中尾ミエが、元気いっぱいに歌って踊るシーンは見ごたえあり。

全体的には、ちょっと要素を詰め込み過ぎた感じで、有島一郎や山茶花究などが今一つ活躍しないのが惜しい気もするが、ナンセンス度はかなり高いと思う。

この手のコメディに出ている若林映子というのも、ちょっと珍しいのではないだろうか。

ただ残念ながらこの作品、今では許されない表現も多く、パッケージ化などされるのは難しいのではないかと思われる。