1962年、東映京都、鷹沢和善+高島貞治脚本、沢島忠監督作品。
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寶楽座の下足番、近視のお君(美空ひばり)と、おっちょこちょいのおとし(江利チエミ)は、舞台役者を夢見る女の子。
今日も各々、石川五衛門と助六を自分が演じているつもりで御機嫌。
そんな脳天気な二人に呆れているのは、小屋の持主の六助(堺駿二)。
芝居がはね、大勢の客の下駄を返却する大騒動にてんてこ舞いだった彼女らの前に同心片山軍次兵衛(千秋実)が現れ、法界坊なる汚い身なりの坊主が来なかったかと訪ねてくる。
知らないとの二人の返事に捕り手たちが帰った直後、当の法界坊と彼に助けられたチンピラの一味が小屋に入り込んできて、その中の一人三太(花房錦一)が二人に妙な薬をすすめるが、二人は相手にしないで追い出す。
しかし、その後、舞台裏で歌っていた二人は暗闇の奈落に落ちてしまう。
そこには、何と、地獄の熊吉(加賀邦男)に大切な薬をなくした事をとがめられている三太たちの姿があった。
ところが、その薬をこっそり持っていたのはかの法界坊、役人たちの手から盗んでおいたのだと言う。
喜んだ熊吉はすっかり法界坊を気に入り仲間に引き入れると、盗み聞きしていたお喜美とおとしを捕まえようとするが、そこへ乗り込んで来たのが役人たち。
大捕り物の末、お喜美もおとしもチンピラ一味と一緒に牢へ入れられてしまう。
その頃法界坊は、南町奉行(中村時之助)と秘かに面会していた。
実は、法界坊こそ、全国的な麻薬一味撲滅のために潜入した秋月七之丞の仮の姿であったのだ。
秋月は、チンピラを捕まえただけでは、真の黒幕が分からないので、今夜、同じ牢に入れられている熊吉と一緒に牢屋破りを決行する旨、奉行に了解してもらう。
ところがその作戦、無実の罪で牢に入れられた事で、傷物になってしまった。
もうお嫁にいけなくなったとだだをこね、表彰状をくれる間では出て行かないと向かいの牢に居座っていたおとしたちに目ざとく見つけられ、敢え無く失敗。
翌朝、二人が寝入った隙に再び牢を破り、秋月と熊吉は無事逃亡の旅へ。
ようやく、我がままが通って奉行所から犯人逮捕協力の表彰状を貰ったお喜美たちだったが、二人の騒ぎに嫌気が指した六助に、路銀と共に暇を言い渡されてしまう。
かくして、お喜美は弥次さん、おとしは喜多さんと各々男姿に身をやつし、東海道を旅する道中へ…。
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美空ひばり、江利チエミの名コンビで送る抱腹絶倒の時代劇ミュージカル。
正月映画らしく、賑やかで理屈抜きに楽しい娯楽大作になっている。
話の骨格は「麻薬Gメンの潜入捜査に巻き込まれたギャルコンビのドタバタ」といったいかにも現代風のものなのだが、その辺はパロディ感覚というか御愛嬌。
千秋実演ずる同心が、二人の小娘に「おじちゃん、おじちゃん」と振り回される様もおかしい。
東千代之助は「ひばり捕物帖 かんざし小判」(1958)同様、豪快なキャラクターで登場するが、今回はちょっとひねりが加えられている。
こちらも、二人の娘から同時に惚れられて目をまわすと言うコミカルな演技も見せてくれる。
江利チエミのコメディエンヌ振りは有名だが、この作品ではひばりも負けじとドタバタコメディエンヌ振りを発揮している所が見所。
ひばりの方は子役時代からスターなので、出演作の多くは、どこか構えたというか大人びた役柄が多く、それがコアなファン以外の人には、どこか近づき難い威圧感や反発心に繋がるのではないかと思うのだが、こうした若い娘時代のキャピキャピとはしゃいだ役柄は、彼女本来のかわいらしさを引き出しており、その人間味溢れる一面に触れれば、ひばりのイメージが一新する事は請け合い。
マンガチックなドタバタ演出も絶好調で、その楽しさは、クドカン版の「真夜中の弥次さん喜多さん」(2005)などに通ずる部分がある。
正に東映時代劇黄金時代の贅沢さを知る事ができる娯楽作といえる。
