1982年、松竹、梶浦政男脚本、朝間義隆脚本+監督作品。
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九州博多出身の水越修五郎(武田鉄矢)は、スターを目指して上京し早8年、何とか役者へのきっかけを掴もうと、ひたすら撮影所のエキストラに参加する日々。
しかし、月6500円の安アパートの家賃さえ払えぬ貧乏振りに、毎日のように管理人のおばさん(乙羽信子)が催促に来る始末。
そんな中、ヘドロの川に浸かる水死体の役をやっていた若い娘と話を交わす内に、彼女も九州熊本の八代出身だと分かり、一挙に二人の距離は縮まる。
聞けば、彼女は柿沼育子といい、地球座という劇団の一員だと言う。
そんな中、修五郎は、その熱心さが助監督の菱山(鈴木ヒロミツ)の目に止まり、テレビ時代劇「阿修羅」の演出をしているベテラン監督(加藤嘉)に、セリフのある農民弥助の役として推薦してもらう。
信じられぬ幸運に、喜び勇んで育子に報告した修五郎は、彼女と共に与えられた芝居の練習に励み本番に臨むが、現場ではなかなか思うような演技が出来ず、何回もNGを出した末、ようやくOKが出る。
しかし、育子もアパートへやって来て、二人で楽しみに見始めたテレビ放映に彼の出演シーンはなかった。
実は、試写で編集したフイルムの尺がちょっと長かったため、監督は他の助監督と話し合いの結果、弥助のシーンを丸ごとカットしてしまっていたのだった。
すっかり気落ちする修五郎に追打ちをかけるように、不動産屋の張本(榎木兵衛)が部屋に乗り込んで来て、家賃未払いを理由に水越の家財道具を勝手に外に放り出す騒動になり、その場は育子が金を払って一旦は収まるのだが、修五郎の屈辱感は癒えなかった。
やがて、母親の七回忌に久々に帰郷した修五郎、兄(田中邦衛)と兄嫁(宮下順子)が民宿「玄洋荘」を営んでいる実家に帰宅後、かつてのクラスメイトたちに東京の生活を面白おかしく話して自慢するが、兄本人は、末っ子であったために、母親から甘やかされて東京に送りだされた弟の生きざまをかねてより快く思っていなかった。
帰って来て民宿の手伝いをしないかと誘う兄に対し、これまで同様、何かと口先でごまかしていた修五郎だったが、翌朝、香典をそっくり持ち逃げして東京へ帰る事に。
育子と再会した修五郎は、彼女の芝居の券を持って来た金で全部買取り、ますます二人の中は深いものになったと思われた。
しかし、演出家の兵藤(岸部一徳)の厳しい指導に耐え何とか舞台を成功させた育子は、テレビプロデューサーから仕事の依頼を受けるという幸運を掴み、興奮覚めやらぬ中で、芝居を観に来ていた修五郎を自分のアパートに先に返し、自分は仲間たちとの打ち上げの後、急いで修五郎に会うため帰宅しようとしていたが、そのチャンスを待っていたかのような兵藤に強引に誘われ、それを断わりきれないままホテルに同行する事に…。
翌朝、帰宅した育子からその事を告白された修五郎は、何も言わず彼女のアパートを出ていったきり、ぱたりと消息が途絶える…。
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映画の裏側を舞台に、青春の夢と挫折を描いたペーソス溢れるラブストーリー。
武田鉄矢も石田えりも、実際の出身地そのままの設定で登場している。
武田演ずる水越修五郎は、末っ子という事もあり、母親に甘やかされて育てられた「バカチン(愚か者)」である。
高校時代、クラスの人気者だった事で「勘違い」し、映画のエキストラに参加していれば、いつかはスターになれると信じているような「世間知らずの甘ちゃん」である。
才能は全くないが、唯一のとりえといえば「優しさ」だけ。
当然、彼の幻想はすぐに瓦解する。
ここで終わっていれば、このストーリーは結構物悲しいリアルな話で収まったはずなのだが、作者はその後に、さらに甘い展開を用意している。
その辺をどう受取るかで、この作品の評価も違ったものになるはず。
個人的な感想をいえば、かなり微妙である。
はっきりいえば、こういう「四畳半の純愛物語」風のテーマは70年代そのものであり、80年代になって作った感覚はかなり遅れているというしかない。
いかにも当時の松竹が作りそうな「貧乏臭い」話で、決して好みとはいえないが、これはこれでそれなりにまとまっており、全くダメな作品だとは思わないのも事実。
珍しく岸部一徳、岸部シロー兄弟が共演しているのをはじめ、今は物まね名人のイメージが定着した清水アキラや、チラリとではあるが村田雄浩なども出演しているのも見所。
どこかふてぶてしい管理人役を演じている乙羽信子や、監督役を演じている加藤嘉などベテラン陣の存在感も貴重である。
