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悪太郎

1963年、日活、今東光原作、笠原良三脚本、鈴木清順監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

大正の初め、牧師の娘と付き合った事が素行不良と言う事で、神戸の神聖学院を諭旨退学させられた悪太郎こと紺野東吾(山内賢)は、東京の私立学校に入り、将来は作家になる事を夢見ていたが、母親(高峰三枝子)に連れられて城崎に列車で向う途中の豊岡で、急に知人の家に寄るという母親に付いて、豊岡中学の校長をやっている近藤(芦田伸介)に会う事になる。

しかし、それは母親の策略で、東吾が近藤の小学生の息子、大和(沢井正延)を連れて川へボート乗りに出かけている間に母親は帰ってしまい、つまりは東吾は近藤校長に身を任せられたのだった。

一旦は抵抗しようと企んだものの、近藤校長の策にはまり、東吾は県立豊岡中学の4年に編入する事になる。

しかし、中学生のくせに、煙草は吸うは、女性経験もかつて淡路島の芸者ぽん太(九里千春)相手に豊富、先輩たちにも頭の一つも下げないとあっては、上級生たちから眼を付けられないはずもなく、間もなく、東吾は風紀部の連中から呼び出しを食らうが、理路整然とした意見をとうとうと述べ、上級生たちをたじろがせてしまう。

さらに、下宿先にまで集団で上がり込んで、小説を読んでいた東吾にいちゃもんを付けようとした風紀部たちを、東吾は「勉強不足」と一喝して退散させてしまうのだった。

そんな東吾が、この小さな町で眼をつけていた美少女がいた。

岡村医院の娘、恵美子(和泉雅子)であった。
彼女はいつも、旅館「海士屋」の娘、芳江(田代みどり)と行動を共にしていたのだが、自分と同じ、小説の愛読者である事を知った東吾は、ある雨の日、下宿前で雨宿りしている二人に声をかけ、それ以来、急速に恵美子との仲は深まって行った。

やがて、面目を失い解散した旧風紀部に替わり、新しい風紀部員となったタコこと鈴村(野呂圭介)と決闘に挑んだ東吾は、ドスを抜いて、相手も狙っていた恵美子からきっぱり手を引かせるのだった。

しかし、そんな東吾と恵美子の幸せも長続きはせず、京都へ二人きりで旅行へ出かけた帰り、海士屋にいた所に踏み込んで来た恵美子の父親(佐野浅夫)によって、強引に恵美子は連れて帰られ、以後一切、東吾と付き合う事を禁じられるのだった。

さらに、新しい風紀部の喧嘩の最中、止めに入った担任をうっかり投げ飛ばしてしまった事もあり、東吾は退学させられる事に…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

旧弊さが残る時代と地域の中、真実の愛に身を任せてひた向きに突き進もうとしながらも、現実の前に押しつぶされていく若い男女の運命を描いた作品。

童顔の山内賢が、破天荒な中学生に扮している。

対する和泉雅子の方は、恋を知った乙女の喜びと同時に、迫りくる自らの運命への予兆を感じたかのような不安と戦う健気な少女を良く演じている。

和泉雅子としては、この後の「北国の街」(1965)や「絶唱」(1966)などに繋がる「悲恋もの」の走りとなった作品ではないだろうか。

清順監督にとっては、後の名作「けんかえれじい」(1966)と対をなすような作品だと思うが、全体的にオーソドックスな演出で、淡路島の回想シーンなどで、若干お遊び的な演出が見られる程度。

例えば、悪太郎が浄瑠璃小屋で芸者ぽん太と出会うシーン、小屋の中には悪太郎とぽん太以外には人はおらず、そこへ「ガヤガヤ」などという声のみがかぶる事で満員の様子を表現したりしている所が芝居的でおもしろい。

愚かな先輩役の野呂圭介もユーモラスな要素。

素朴で美しい地方の風景が印象的である。