1961年、東宝、井手雅人脚本、稲垣浩脚本+監督作品。
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目まぐるしく領主や国が移り変わっていた戦国時代。
風の強い夜、忍び込んだ屋敷で大量の隠し金を見つけた野盗一味は、隻眼の頭(夏木陽介)以下11人の「向坂衆」の面々。
女に目がない疾風(佐藤允)と、父親を殺して遁走した母親の事を恨み、男に媚びを売る女を毛嫌いしている孤児の源(市川染五郎)は、いつも反目しあっている。
そんな彼らの住処に、かつて人殺しを嫌い仲間を離れて一人農民になっていた弥助(中村万之助)が戻ってくる。
金が入った事で浮き立つ彼らは都へ出ようと話し合っていたが、その時、全国を渡り歩いていた長耳(多々良純)が、女も花も美しい桃源郷のような「八重山の里」の話をし出す。
聞き惚れた彼らは、住処を焼き払い、その「八重山の里」へ全員で移り住む事にする。
ところが、到着した八重山の里は、話とは別世界のように荒れ果てていた。
長い戦の連続で領主が変わるにつれ、畑は荒れ果て、若い男衆は砦建設の重労働に全員駆り出されているという。
村に残された女、子供、老人たちは、今の領主に従う周囲の村々から援助も拒否され、飢え死寸前の有り様であった。
当てが外れ食い物にもありつけなかった向坂衆一行、荒れ寺に落ち着いたものの、あまりの村の惨状に義侠心を掻き立てられ、近所から米を強引に買い漁って、村びとと一緒に飯を食うことに。
彼らの元に礼をいいに来た住職(笠智衆)は、冗談で疾風が床の間に飾っていた、源が拾って以来大事にしていた旗を見て、一行を、先君の尼崎ゆかりの人たちではないかと言い出す。
自分達の身分を偽る意味も合って、つい住職の話に乗った一行、源のことを、先君尼崎義隆の三男、竹丸の成長した源九郎であると口裏を合わせてしまうのであった。
すっかり村人たちに尊敬され、腰を落ち着けた一行は、村娘かよ(雪村いづみ)の兄も含め28人の男衆を、砦の工事現場から奪還する作戦をたてるのだが…。
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先代市川染五郎(現-松本幸四郎)、中村万之助(中村吉右衛門)兄弟、さらに、彼らの父親、先代松本幸四郎が全員揃って出演した痛快娯楽時代劇。
ストーリー自体は「七人の侍」と「大魔神」をミックスしたような感じなのだが、物語は途中から二転三転していき、単純な勧善懲悪ドラマになっていたいのが興味深い。
正直な所、八重山の里へ到着する辺りまではテンポもあって期待感を煽るのだが、途中から、やや失速する感じ。
村人、侍、各々何百人ものエキストラが出演しており迫力はある。
画面に華やかさを加えるために登場する三人の村娘、かよ、さと(田村奈巳)、さわ(若林映子)が、飢饉の村に住んでいたにしてはやや元気すぎるように見えるのが気にならないでもないが、 村の惨状の描写もなかなか。
話の展開も悪くはないのだが、如何せん、後半の展開がやや大味でサスペンスもそれほどではないのが惜しまれる。
ただし稲垣作品としては、平均以上の出来だと思う。
ちなみに、タイトルバックで青空にモクモクと沸き上がる入道雲の表現は、水槽に絵の具を垂らして作る東宝特撮お馴染みの手法である。
