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トイレの花子さん

1995年、松竹、福田卓郎脚本、松岡錠司脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

本町小学校では、近所で発生した殺人事件は、6年生の女子トイレの一番奥の部屋にいるといわれるトイレの花子さんの仕業に違いないとの噂で持ちきり。

そんな本町小学校に通う坂本なつみ(前田愛)は母亡き後、父親(豊川悦司)とおじいちゃん(梅津栄)が支えている牛乳販売店の娘で、小六で同じ小学校の児童会長をやっている拓也(井上孝幸)と二人兄妹、でもクラスではちょっと浮いた存在で、良くいたずらをされるような女の子だった。

彼女のことが好きで、いつも一緒にいるケーキ屋の息子、加藤君(三東康太郎)が、ちょっとダサイのも、周囲からかわれる理由。

そんな中、いたずらで同級生の女の子たちがはじめた「コックリさん」で、次の犠牲者になるのは「なつみ」と出て、怖くなったなつみはお兄ちゃんに相談するが相手にしてくれない。

やがて、帰宅途中のなつみと加藤君は、一人の美少女から本町小学校への道を尋ねられる。

その少女は、拓也のクラスに転校して来た水野冴子(河野由佳)だったのだが、拓也の隣の席になった彼女が美人でちょっと大人びており、頭も良いという事もあり、拓也のことが好きな同級生の太田(鈴木夕佳)は嫉妬から、あからさまに嫌悪感を示しはじめる。

さらに、冴子が知らずに一番奥の女子トイレに入った事が引き金となり、彼女をトイレの花子さんだと糾弾する声が、太田を中心に上がりはじめるのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

小学生の「いじめ」「噂」を描いたジュブナイルドラマ。

タイトルから、いわゆる子供向けホラーを連想してしまうが、ホラー要素はほとんどないといってよい。

松竹作品だし、いつものように予算がないので、ドラマだけでまとめて…というような裏事情だったのだろう…と、大人だと勝手に納得して、それなりに最後まで観る事ができるが、公開当時、何かを期待して足を運んだ子供たちにとっては騙されたような気分になったのではないか。

トヨエツ演ずる父親や梅津栄独特のとぼけたキャラクターのおじいちゃん、先生役の大塚寧々ら、大人同士のドラマや、いじめに対して凛としているなつみや冴子の態度は好感が持てるのだが、何せ、全編、女の子特有の陰湿ないじめが延々と描かれ、観ていて気が滅入ってくるのが辛い。

そのいじめが段々エスカレートしていって、最後には集団ヒステリーのようになり…という展開も、本当に怖いのは妖怪やお化けではなく、「人間の心の中にある偏見とか差別意識」の方だといいたいのだろう。

だとすると、このエンディングは、「子供向け作品」としてはないのではないか。

問題提起はしてあるが、「いじめ」に関しては何の解決も描かれていないからだ。

例えば「いじめ騒ぎ」は、実は悪霊の魔力にたぶらかされていて、最後にはそれが解けた…とか、大人のアドバイスや、子供同士が同じ冒険に身を置く事で、最後は理解し合えた…といったような、観客にとって分かりやすい終り方になっていないのだ。

だから、画面上は一応ハッピーエンドで終わっているように見えるのだが、あれはどうなったの?…と疑問を持ちはじめると、何も解決していない事が分かり、もやもやが残る。

「心の問題は根深いのだ」というような裏メッセージがあるような処理にも見えず、単にごまかしているようにしか思えないのだ。

トイレの花子さんが本当にいるのか、いないのかといったような、ファンタジックな部分は曖昧なままで良いかも知れないが、自ら問題提起した「いじめ」の問題に関しては、一応、作品中でそれなりの答えを出して欲しかった気がする。

エンディングにかかる「見上げてごらん夜の星を」も、何となく取って付けたようで違和感が残った。

ちなみに、幼な顔の前田愛はすぐに識別できるが、エンドロールに名前が登場する栗山千明は見分けられなかった。