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火の鳥2772 愛のコスモゾーン

1980年、手塚プロダクション、手塚治虫原作+構成+脚本+総指揮、杉山卓脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

自然は荒廃しエネルギーが払底した未来世界、一部のスーパーエリート層だけが豊かな生活を約束された階級社会になっていた。

ゴド−・シンゴ(声-塩沢兼人)は試験管ベビーとして誕生し、コンピューターの訂正検査で宇宙パイロットに育てられる事が義務付けられていた青年。

彼の唯一の心のよりどころは、ロケット等に変型できる育児ロボットのオルガ(声-三輪勝恵)だけだった。

そんなゴドーは、町中で一人の美しい女性に出会い、一目で恋に落ちてしまう。

しかし彼女は、スーパーエリート、元老院のイート卿(声-久保保夫)の娘レナ(声-藤田淑子)で、科学省司令官ロック・シラーク(池田秀一)の婚約者であったため、身分違いの禁断の愛に身を任せた二人は引き離されてしまう。

ゴドーはアイスランドの強制労働キャンプへ送り込まれるが、そこで行われていたマントル対流エネルギーの発掘作業はもともと計画に無理があったため、現場では毎日のように事故が起こっていた。

ゴドーは、そこで出会った猿田博士(声-熊倉一雄)と彼を救いに飛んで来たオルガの協力、さらにブラック・ジャック所長(声-伊部雅刀)の計らいもあって、スペースシャーク号というロケットで宇宙へ脱出し、エリートたちが血眼になって求めていた「不老不死の力」を得られるという「2772」という宇宙モンスターを探しに出かけるのだが…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

手塚治虫のライフワークともいうべき大作「火の鳥」の、映画用に作られたオリジナルエピソードである。

「宇宙戦艦ヤマト」をきっかけとした宇宙アニメブームの影響下で作られただけあって、公開前は、スペースシャークなど、御厨さと美デザインのメカなどを前面に押し出した宣伝を繰り広げていたが、出来上がりは「スペースファンタジー」としても「火の鳥」としても成功したとはいい難く、興行的にも奮わなかったように記憶している。

地球は生き物とか、輪廻転生、愛の力などといったメッセージはセリフとして説明されているので、一応伝わってはくるのだが、アニメ映画としては如何せん、迫力のある大スペクタクルがあるでもなし、愉快なエピソードの連続という訳でもなし、かといって想像力を刺激されるような映像美に満ちあふれているという風でもなく、全体的に凡庸なイメージと暗い展開で、今一つノリ切れない結果に終わってしまっている。

お馴染みの人気キャラやかわいらしいペットキャラを登場させたり、音楽だけで時間経過を表現したり、意欲的な視点移動を取り入れたりと、あれこれファンサービスや実験的な事もやってはいるのだが、公開時に劇場で観た時にすら、さすがに古臭いな…と感じたくらい。

特に、映画として極めて重要な出だし部分、ゴド−が成長して宇宙パイロットの訓練に明け暮れ、レナと出会い、労働キャンプに送られる…あたりまでが、省略化された絵と動き、極めて限定された登場人物だけという事もあって地味そのもので、今一つのめり込めない。

感情を持ってしまい、女としてレナに嫉妬するオルガという設定は悪くないので、ゴド−とオルガの愛情物語だけに絞ってしまえば、もう少し分かりやすくまとまったのではないかと思うが、「火の鳥」としての大きなメッセージ性を浮き出すために、後半が何となく暗い印象(テーマ的には救いはあるのだが、愛情物語としても娯楽映画としても哀しい終り方に見えてしまう)になっているため、一本の映画としては、観終わっても何となくすっきりしないのだ。

娯楽としての表現とメッセージ性を秘めた奥深い内容の合体という、マンガではすんなり受け入れられた手塚さんらしい表現方法が、何故か映像というメディアでは分離しているというか、違和感を感じるものになってしまっているのが不思議。

それでも、竹下景子演ずる火の鳥の言葉を聞いていると、人間なんて宇宙を構成している小さな存在なんだ、と厳粛な気持ちになる事は確か。

これをきっかけに、原作を読んでもらえれば嬉しい。