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がらくた

1964年、三村伸太郎+井手雅人脚本、稲垣浩脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

室町末期の1500年頃、泉州堺の港。

どん底の生活を強いられ、人を全く信じられなくなった土蜘蛛(侍への反乱農民たち)の生き残りの一人、勘三郎(市川染五郎)は、密輸の砂糖をこっそり買っていた商人(左卜全)に近づき、その不正に目をつぶる代わりに、自分の身体を買ってくれと申し出、黄旗屋(小川虎之助)という豪商の最末端の召し使いとして雇われることになる。

その家には、黄旗屋の二代目(田中春夫)の娘として蒔絵(大空真弓)と緑(星由里子)という美人姉妹がおり、今日も、蒔絵の見合い相手として元海賊出の武士、猪谷(中丸忠雄)と細川家の中納言(有島一郎)が訪れており、家の中は無礼講状態。

そんな中、新入りというのでこき使われていた勘三郎を発見した緑は、寡黙な彼に何となく親近感を覚え、ペットとして買っていたオウムのルリちゃんの世話係に任命するのだった。

やがて、中納言らを船で接待することになり、余興係として呼ばれていた狂言師の宮千代(平田昭彦)、姉妹の世話係お京(中北千枝子)らに加え、緑の気紛れから、勘三郎とルリちゃんも船に乗せられることになる。

しかし、彼らが乗った船は、目的の島に向う途中で嵐に遭遇、船は絶海の孤島へ漂着してしまう。

大破の末、沈没寸前だった船から、幾許かの食料と水を運び出した勘三郎の勇気は、船乗りたちの信頼を得ることになる。

やがて、本土にいる時同様、船乗りたちを力づくで押さえ付けようとしていた猪谷の行動に堂々と刃向かった勘三郎は、はっきり、船乗りたちの信頼を勝ち得、その直後、脳硬塞で倒れた船長は、仲間たちに、今後はこの勘三郎を頭としてまとまらないと、侍たちに皆殺しにされてしまうと言い聞かすのだった。

かくして、身分の差別のない共同生活が始まるのだが、これを快く思わないのは、中納言と猪谷、それに蒔絵であった。

最後まで、見栄を捨てようとしない彼女に対し、力づくで皆と同化させようとする勘三郎の強引さに、いつしか蒔絵は心惹かれていくようになるのだが、勘三郎が慕っていたのは、妹の緑の方だった。

それに嫉妬した蒔絵は、猪谷たちに近づき、船乗りグループを内部分裂させようと計るのだったが…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

稲垣監督が、新しい時代劇スターを育てようと、積極的に先代市川染五郎(現-松本幸四郎)を起用していた時期の一本。

話の元は、「ピーター・パン」の作家ジェームズ・バリーの「あっぱれクライトン」という、上流社会を風刺した作品らしい。

そういわれてみれば、いかにも英国人好みの海洋冒険譚に思える。

かなり予算をかけた大作で、船が難破をするシーンは実物大のセットとミニチュア特撮を使って表現してある。

特撮の方は特筆すべき程の出来ではないが、東宝特撮用プールに再現したらしい実物大セットは迫力がある。

ロケシーンとの巧みな編集で、あたかもハリウッド映画を観ているような感じさえある。

染太郎扮する勘三郎が大海亀を捕まえようと海中で格闘するシーンや無数の海猫が登場するシーンも見ごたえがある。

平田昭彦らが無数の鳥の襲われるシーンは、当然、この前年に公開されたヒッチコックの「鳥」(1963)の影響があるのだろう。

海亀の方は作り物と実写、海猫のシーンは実写と合成を使って、ちゃちさは感じさせない。

有島一郎、大空真弓が印象的な役柄を演じている。

この作品で気になる点が一つ。

それは、時々、画面が狭くなること。

本来シネスコサイズのはずなのに、島での生活の時、数シーンで画面の両脇が黒くなるのだ。

何かの事情があっての事だと思われるが、その事情が知りたいものである。