1960年、東宝、中野実原作、菊島隆三脚本、稲垣浩監督作品。
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特急こだまが走る現在(製作当時)の大井川鉄橋から、川人足が人を運んでいた文久3年(1863)の大井川に画面は移る。
大井川を挟む東海道島田の宿では、旅籠の娘、お咲(江利チエミ)が、好いたらしい伊豆伊東出身の遊び人、半五郎(夏木陽介)を探している。
遊び過ぎて宿代も払えなくなっていたその半五郎は、性懲りもなく博打の最中だったが、鳴海組の賭場で面白い事が起こっているとの噂を聞き付け駆け付けてみる。
そこで起こっていたのは、美しい女性が一人で大勝負をしている事。
そのかたわらには、付き添いで楽しそうに女房の勝負を見て楽しんでいる亭主らしき男が一人。
どうやら、イカサマ博打に気づかず、亭主は身ぐるみ剥がされている様子。
それとなく、その亭主にイカサマである事を注意する半五郎であったが、亭主は笑って取り合わない。
結局、褌一つの情けない姿で帰る事になったその亭主と女房は、この辺りで、金持ち、貧乏人の区別なく診ることで有名な医者の小山慶斎(森繁久彌)といく(原節子)であった。
その後、インチキを告げ口した事への見せしめから、鳴海組の源太(中谷一郎)に襲われ、瀕死の重傷を負った半五郎を、慶斎は一世一代の大手術で救うことになる。
何とか一命は助かったものの、回復後もヤクザ気質は変わらず、何かとお咲を心配させていた半五郎だったが、ある夏、江戸から来た御典医の池田明海(山村聡)が当地を訪れ、彼の古くから親友である慶斎が、日本でも屈指の名医になる素質を持ちながらも、この地元に身を埋める決意をした貴い考えの持主だと知り、心を入れ換え、自分も医者になるために慶斎の弟子にしてくれ頼み込むのだが…。
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黒澤明の「赤ひげ」(1964)に先立つ医者物の感動作。
「赤ひげ」にくらべると、かなり庶民的なドラマ仕立てになっているのだが、かといって俗な感じはない。
豪放磊落な秀才の奔放な生きざま…と最初は思わせながら、かつての盟友で、今はエリートコースをひた走る池田と、ヤクザの半五郎の成長を対比させる事によって、慶斎の生き方そのものへの疑問、理想と現実のギャップの厳しさを痛感させられるような構成になっている。
特に後半、庶民というものの根本的な残酷さをえぐり出す所が凄い。
単なる人情医者と庶民の触れ合い感動ものではないのだ。
老いてなお、報われる事がないばかりか、時代に取り残されてしまった自分に気づいた慶斎が、ある種、達観の境地に到達するラストが胸を打つ。
博打をする原節子という絵も強烈な印象があるし、脇に徹する江利チエミも素晴らしい。
共に、陰で男を支える女という点で共通する役柄であるが、二人ともサバサバとした性格に描いているので嫌みがない。
夏木陽介の月代姿のヤクザというのも珍しく、見た目、若干違和感を感じないでもないが、物語の前後でがらりとイメージが変わる難しい役所だけに、若くして良く健闘していると見るべきだろう。
しかし、何といっても、森繁の存在感には敬服させられる。
彼の本質的な人柄の明るさ、憎めなさが、後半の悲劇性をより強調している。
重いテーマ性を、さらりと娯楽に仕立て上げてみせた菊島隆三の脚本と稲垣監督の演出を賞賛すべきだろう。
埋もれた名作の一本ではないだろうか。
