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あゝひめゆりの塔

1968年、日活、八木保太郎+岩井基成+石森史郎脚本、舛田利雄監督作品。

60年代後半のゴーゴークラブ。

沖縄の曲をリクエストした青年(渡哲也)が、これと同じ歌を歌っていたかつての沖縄師範学校女子部の事を独白し出す。過ぎ去った20年の時間の意味を考えたい…と。

昭和18年、沖縄師範学校女子部の運動会。

家族にだけ配付された招待状がないと、学校内に入れないので、女子部に興味しんしんの男子部、西里(浜田光男)泉川(藤竜也)ら悪友たちは、たまたま通りかかった女子部生徒、与那嶺和子(吉永小百合)の弟、武(小池修一)を呼び止め、彼が持っていた招待状を利用して運動会見物に潜り込むのだが、すぐに不正が見破られ、和子本人の前で西里は、自分は彼女の従兄弟などと嘘をいってしまい恥をかくことになる。

しかし、そのことがきっかけとなり、和子は、他の女子生徒たちから西里との仲を冷やかされるようになるのだった。

昭和19年夏、小学校の教諭を勤めている母親(乙羽信子)の教室で、教育実習の経験した和子は、やがて、その母親と小学生たちが学童疎開として対馬丸という船に乗せられ、肉親たちと涙の別れをしなければならない現場に立ち会うことになる。

そして、その対馬丸は、敵の潜水艦に撃沈させられた事を後から聞かされた和子は、波止場で子供と肉親たちが互いに歌って別れた「故郷」の曲を空しくピアノで弾いて、子供達と運命を共にした母親を忍ぶのだった。

小学校長(東野英治郎)は、その後、責任をとって自決する。

昭和19年10月、師範学校の寮が敵の空襲で破壊され、翌20年3月、師範学校の卒業式を迎える直前だった女生徒たちは、急遽、看護婦として戦場で働くように命ぜられることになる。

彼女たちの、長く悲惨な戦争が始まったのだった…。

明治百年記念として作られた芸術祭参加作品で、 何度も映画化された有名な戦争悲話である。

昭和元禄を満喫している現在の若者たちから、戦争に巻き込まれる前の、まだ青春を謳歌する女生徒たちと男子部の生徒たち、そして、そんな彼らがいきなり巻き込まれて行く悲劇へと物語は転換して行く。

前半の山場は「対馬丸の悲劇」、疎開児童たちを含む1500名が亡くなった未曾有の惨劇に、主人公の母親も巻き込まれる形をとっている。

国からの命令ということで、港から船に乗って出発する児童たちを肉親が見送ることは禁止されていた。
しかし、肉親たちは港に集結し、霧の中、見えない子供達を捜しまわる。

やがて、霧の中から聞こえてきた子供達の歌声に、いつしか肉親たちも声を合わせて行く。

このシーンだけではなく、全体的に、歌や踊りが戦争の悲劇性を逆にあぶり出すかのように使われて行く。

後半は、米軍が上陸し、生き地獄状態となる兵隊たちと、その世話に忙殺される女学生たちの惨状が描かれて行く。

女学生の中にはトミ役の和泉雅子、本名の太田雅子を名乗っていた梶芽衣子、音無美紀子などが出演している。

男性陣では、昭喜名(てるきな)先生として二谷英明、生徒思いの師範校長が中村瓢右衛門、教練兵として高品格、太田少尉に和田浩治、伝令役として郷えい治などが登場。

ラスト近く、追い詰められた洞窟内で「もう、日本も終わりだな…」と弱音を吐く教師の山本を、思わず平手打ちする梶芽衣子の鋭い眼光が印象的。

理不尽にも、青春の真っ盛りに命を捨てざるを得なかった若者たちの姿は、永遠に忘れてはいけないものだろう。

映画としても、見ごたえ充分な大作である。