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大日本帝国

1982年、東映東京、笠原和夫脚本、舛田利雄監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

「シンガポールへの道」「愛は怒濤を越えて」の二部からなる戦争映画の大作。

昭和16年、小田島少尉(三浦友和)は、歩兵連隊に配属される。

海軍航空部隊の大門(西郷輝彦)は、真珠湾攻撃のための訓練に明け暮れていた。

一方、京都の教会では、賛美歌を歌っていたクリスチャン学生の江上(篠田三郎)が、特高から外に連れ出され、詰問されていた。その様子を心配そうにうかがう恋人柏木京子(夏目雅子)は、その後、肺病を患い入院生活を余儀なくされる。

さらに、東京の理髪業を営んでいた小林幸吉(あおい輝彦)は、小川軒の主人(愛川欽也)の計らいで、急な出征を前に、元バスガイドの新井美代(関根恵子)と慌ただしい結婚式を執り行なっていた。

小林と美代にとって、一晩だけの新婚生活だった。

その頃、政府内部では、近衛文磨(仲谷昇)内閣が総辞職し、東条英機(丹波哲郎)が内閣総理大臣として任命される。

いわゆるABCD包囲網によって経済封鎖をされていた当時の日本にとっては、従来通りの占領地を維持するためには、戦争に活路を見い出すより他に道は残っていないかに見えた。

アメリカは、日本が先に戦争を仕掛けてくるよう策略をめぐらし、日本はまんまと、その罠に引っ掛かったのである。

かくして、真珠湾攻撃は決行され、日本は泥沼の戦争へと足を踏み出すことになる。

昭和17年1月のマレー半島、自転車部隊として小田島と小林は出会うことになる。

激しい戦闘を経て、日本は、シンガポール、ビルマ、ラングーン、ジャワと占領して行くが、間もなく、アメリカ軍の反撃が開始され、シンガポールは生き地獄と化して行く…。

第二部では、シンガポール戦線での悲惨な末路、日本の降伏、東条らの処刑などが描かれて行く。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

「宇宙戦艦ヤマト」(1977)ブレイクの余韻も覚めやらぬ時期に公開され、子供層までも引き込んだ意外なヒットとなった「二百三高地」(1980)に気を良くした当時の東映が、続いて放った戦争映画だが、太平洋戦争がテーマ、特にシンガポールが舞台では、爽快感など期待すべくもなく、悲劇、悲劇、涙、涙…の重苦しい作品になっている。

公開当時、そのタイトルやキャスティングから、東条英機賛美、戦争賛美映画とのレッテルを貼られ、激しい上映反対運動が起こったらしいが、実際に観てみると、そういう感じの内容ではない。

確かに、多少、東条英機弁護というか、言い訳風の描写もあるが、天皇の戦争責任にも触れられているし、全体としては、戦争で運命を弄ばれて行く若者たちの悲劇がメインとなっている。

中でも、たえず、戦争に対し疑問を持ちながらも、結果的には自ら進んで戦場に出向き、あげくの果てには、不条理な死を迎えざるを得なくなる江上を演ずる篠田三郎と、生まれた長男を背負い、戦時中から戦後にかけ、何度も死を覚悟しながらも、身体をはって生き抜こうとあがくたくましい母親を演ずる関根恵子が印象的。

関根恵子が本当に子供を背負って、海に入水しようと胸まで浸かるシーンはびっくり。
万が一の安全対策は施していたのだろうが、背中で恐怖に泣叫ぶ子供は、演技ではない。

しかし、そうした「日本の庶民が最大の被害者」的描写は、各社で作られた従来の戦争映画でも特に珍しいものではなく、上映時間のあまりの長さ、仰々しい主題歌なども相まって、逆に、作品の印象を弱くしているようにも感じる。

中野昭慶特技監督による、なかなか巧みな特撮ショットも見られるが、真珠湾攻撃シーンは、何かからの流用フイルムなのか、あまりにリアルすぎて逆に気になった。

全体としては記録フイルムの使用が多く、特に、特撮映画という感じではないが、真珠湾のシーンの謎だけは、最後のエンドロールを観ても解けなかった。

戦後、シンガポールで戦争犯罪人として裁かれる日本人兵士たちが、アメリカ兵によって屈辱されたり体罰を受けるシーンなど、イラク戦争を経た今観ると、意外にも説得力があるのが判る。