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安珍と清姫

1960年、大映京都、小国英雄脚本、島耕二監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

活発な清姫(若尾文子)は、最近、キツネが鶏を襲うというので、一人で馬に乗ってキツネ狩りに出かける。

草むらの中にキツネの姿を発見した清姫は、矢を放つが、木陰で休んでいた奥州白河出身の僧侶の一人、安珍(市川雷蔵)の腕に刺さってしまう。

自分の落ち度を知った清姫は、安珍と、同伴の道覚(小堀阿吉雄)を自らの屋敷に招く。

折から、清姫を嫁にもらえれば、自らが所有する二子山の水門を開けて、真砂の田畑へ水を流そうと、関屋の長者、友綱(片山明彦)が、清姫の父親、清継(見明凡太郎)を説得しに館を訪れていた。

しかし、当の清姫は、友綱のこと等最初から眼中になく、今は、奥の部屋で伏している若く美しい僧、安珍のに気を惹かれていた。

女や酒を喜ぶ生臭坊主の道覚とは対称的に、仏門にいるものとして一切の煩悩を絶った安珍は、看病しようと近づく清姫をも、側に近付けようとしなかった。

この態度にプライドをひどく傷つけられた清姫は、何としてでも、安珍を誘惑してみせようとする。

腕の傷を癒すため、温泉に浸かっていた安珍の元で、自らも裸身になって近づき、切々と恋する気持を打ち明ける清姫に、自分も仏門にいるのでなければ…と安珍は告白するのだが、意外なことに、清姫は「偉そうなことをいっていても、あなたもしょせんは欲望に勝てぬ男。私の勝ちだ」と言い残してその場を去るのだった。

この出来事でいたく傷付いた安珍は、同伴だった道覚が屋敷の下女、早苗(毛利郁子)と金を盗んで逃走したと聞かされ、その詫びも兼ねて、これから道成寺に21日間籠って身を浄めたいと言い残して、自ら愛用の笛を身替わりとして預けた後、館を立ち去ることになる。

しかし、寺でいくら読経しても、安珍の煩悩は消えず、思うは清姫のことばかり。

一方、安珍がいなくなってはじめて、自分の気持に正直になった清姫は、山を登って安珍に再会し、二人ははじめて契りを結ぶのだったが…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

熊野地方の有名な逸話を映画化した作品。

美しい風景と、見事なセット美術の中、恋の駆け引きの悲劇が描かれて行く。

元々の逸話自体は、もっとシンプルで幻想味の強い怪異譚のようなものだったらしいが、本作では、恋愛という魔物にとりつかれて行く男女の気持のすれ違いを丁寧に描くことで、より現実的で説得力のある話として展開させている。

印象としては、ファンタジーというより、文芸作のような仕上がりである。

最初は、真面目一方の堅物だった安珍が、恋愛においては優柔不断な男と成り下がり、逆に、最初は傲慢で鼻持ちならなかった清姫が、恋愛においては猪突猛進タイプに変貌してしまう様が興味深い。

特に、気位の高い清姫の揺れ動く女心は、なかなか説得力があるように感じられる。

全体的に幻想味は薄いとはいえ、一応、有名なクライマックスでは、なかなか巧みな特撮を駆使し、怪異が表現されている。

雷蔵が坊主頭で熱演すれば、若尾文子の方も、肌も露に体当たり演技を見せる。(ただし、入浴シーンでの、後ろ姿の全身像は吹き替えだと思われる)

さすがに邦画黄金期に作られた作品だけあって、今でも十分見ごたえのある堂々たる作品になっている。

結局、恋愛こそが、最大の怪異である…ということなのかも知れない。