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地球(テラ)へ…

1980年、東映動画、塩田千種脚本、恩地日出夫脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

地球は汚染が進み、人類が宇宙へ飛び出した遠い未来、惑星アタラクシアの住民、ジョミー・マーキス・シン(井上純一)は、明日、14才の「目覚めの日」の儀式を迎えようとしていた。

試験管ベビーとして生を受けた彼は、その日に行われる成人検査を境に養父母の記憶を消され、一人前の大人になるのだ。
そんなジョミーは、最近、長い髪の少女の夢に悩まされていた。

ある日、ジョミーは、遊園地の中で襲撃を受ける。
それを救出したのは、見知らぬ少年だった。

彼は、宇宙船の中に連れて来られると、今まで、地球と思い込んでいた街が、人工的に作られた都市であったこと、成人検査の結果、超能力をもつ『ミュー』であることが判明すると、抹殺されること、そして、ジョミーは、その『ミュー』であることを、多くのミューの仲間たちから知らされる。

長い寿命を終えようとしていた『ミュー』の長、ソルジャー・ブルー(志垣太郎)から、次に指導者は君だと聞かされたジョミーは、混乱のあまり、超能力のパワーを爆発させ、結果的に、自分の運命を悟るのだった。

一方、地球の教育期間には、マザーの申し子と噂されるほど、優秀な少年、キース・アニアン(沖雅也)がVIPエリートとして成長していた。

彼は、ミュー攻撃に出かけて、逆に捕らえられた宇宙船の中で、どこか懐かしい盲目の少女フィシス(秋吉久美子)に出会う。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

「マンガ少年」に連載されていた竹宮恵子のコミックを原作とするアニメ作品。

どこかしら身体的ハンデを克服するために超能力を備えるようになったミューと、彼らを怪物として排斥しようとマザーコンピューターに支配される人類との戦いを、叙事詩的に綴ったもので、公開当時としても、かなりSF色の強い内容になっている。

しかし、逆にその「SF」らしさが、興行的には足を引っ張ったともいえなくはなく、当時の「宇宙戦艦ヤマト」を嚆矢とする劇場用アニメブームの本質には、本格的なSF要素等希薄だったように思われ、そこを読み違えた企画だったようにも思える。

アクション主体の娯楽作ではなく、あくまでも、テーマ性重視のちょっと暗い内容は、当時のミーハーアニメオタクには退屈と受け止められたのではないか。

長大な原作をまとめたため、ややダイジェスト的な印象になっている部分、沖雅也や秋吉久美子らの、やや棒読み口調のセリフ回し等も、新鮮と言うよりも、アニメとしてのテンションを低くしてしまった観は拭えない。

何だか、メカと言うよりも、不細工な粘土細工のように見える宇宙船デザインなども、当時は意欲的試みだったのだろうが、今観ると、技術的な拙さも相まって、さほどのインパクトはない。

この作品で、個人的に今でも印象に残るのは、ダ・カーポが唄うテーマソングだけかも知れない。

「♪カムホ〜ム トゥ テ〜ラ〜♪カムホ〜ム トゥ テ〜ラ〜♪」という軽やかで爽やかなさびの部分は覚えやすく、今でも歌えるほどだ。

エンディングに流れる「愛の惑星(プラネット)」という曲もなかなか良い。

当時、人気アイドルだった薬師丸ひろ子も、キースに助けられ、心を通わせるミューの少年役として登場する。

今、SF作品として、再評価が待たれるアニメの一本ではないだろうか。