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街の灯

1974年、田辺エージェンシー+松竹、梶浦政男脚本、森崎東脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

坂の下千代松、通称チョロ松(堺正章)は、ムショ帰りの男(田中邦衛)に女のトラブルから足を蹴飛ばされ、ケガをした兄、梅吉(財津一郎)をおぶって、得意先の栗田会長(森繁久彌)の車に乗り込む。

梅吉の仕事は自称「愛情仕掛人」つまりは「ポン引き」みたいなもので、栗田会長に13年間も付き合って、女性を見つけてきては仲介してきたのだった。

会長の最近のお気に入りは、テレビのCMに出ている新人タレントの欅ヒロミ(栗田ひろみ)だったが、取りあえず、同じテレビ画面に写っていた素人娘を引っ掛けようと、中継場所に車を差し向ける。

調子の良いチョロ松は、自ら、ナンパの役を買って出て、姉妹らしき素人娘に声をかけるが、姉の方には待ち合わせた恋人が現れ、急遽、目標変更した妹の方を追って駅まで来たところで、入場券を購入している老人(笠智衆)と、その連れらしい娘を見かけるのだが、驚いたことに、その娘は檜ヒロミに瓜二つだった。

梅吉とチョロ松が帰り付いた家は、竹子(吉田日出子)と何人もの子供達が待つ、貧しい場所であった。

彼らは、皆、もともと捨て子だった者同士で、いわば「義兄弟」「義家族」みたいな関係だった。

その梅吉、会長から電話が入り、先ほど紹介した妹のことでトラブルが起こったと苦情をいわれ、そのまま首にされてしまう。

その話を側で聞いていたチョロ松は、兄貴の復職のために、駅で見かけた檜ヒロミのそっくりさんを見つけて、会長に差し出そうと計画する。

駅で再び見つけた老人と花子と自称する娘(栗田ひろみ-二役)は、駅構内でいつも詐欺まがいの行為をして生活しているらしく、それを脅しのネタに近づき娘を貰い受けようとしたチョロ松だったが、意外なことに、老人は、どうやら記憶を失っているらしい花子を連れて、家まで歩いて送って行くと言い出すのだった。

仕方なく、二人を追い掛けることになったチョロ松だったが、大船に着いたところで、花子がロッカーから捨て子の赤ん坊を見つけてくる。

ブラジル国籍らしいその老人が向う先は、何と生まれ故郷の九州だという。

とにかく、花子を連れて東京に戻りたい一心のチョロ松は、元整形美容の医者(フランキー堺)とその失敗作であるという女(研ナオコ)コンビの自動車や、女子プロレスのバスに同乗させてもらったりしながら、何とか九州の有明海の近くまで到着するのだが…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

堺マチャアキ主演第一作らしい。

コメディというよりも、ちょっと不思議な雰囲気の悲喜劇とでもいいたいような作品。
アチャアキらが身体を張っておどけまくっている割には、笑えるようなシーンは存外少ない。
社会風刺要素もあり、いわゆる「重喜劇」の流れにあるものかも知れない。

森繁、フランキー、三木のり平…と、かつて東宝の「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」で笑いを競っていた名優たちが揃って出ているのだが、本作では見事なほど皆面白くない。

俳優たちの年齢的な問題もあるのだろうが、監督が意図的に彼らの面白さを「殺して」使っているとしか思えない。

ストーリー自体も、筋が通っているようないないような、何とも変な展開。

ある種の「寓話」と解釈すべきなのだろうか?

そう解釈して観ると、劇中でマチャアキが子供達に向い「何か、変だな?」と、何度もおどけてみせる部分が、世間にたくさん転がっている「おかしなこと、矛盾すること」などを告発するポーズなのかも知れない。

挿入歌も歌っているフォークグループ「ガロ」が、劇中にもちらりと登場している所にも注目したい。