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初春狸御殿

1959年、大映京都、木村恵吾脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

カチカチ山に大きな月がかかる頃、店を閉めた麓の村の酒屋の扉を叩く音が。

主人(左卜全)が開けてみると、そこには見かけぬ村娘が、酒を売ってくれと立っている。

金を受け取って、村はずれには悪い狸がいるから気を付けて帰れと注意をする主人。
しかし、彼の手にあったはずの金は、何時の間にか木の葉に…。

帰宅して父狸、泥衛門(菅井一郎)に酒を渡したお黒(若尾文子)は、本来慎ましやかで気の良い娘で、10年前、ウサギに背中に背負った薪を焼かれて以来、その火傷の後遺症に悩まされつつ、ますます性格がひねくれてしまった父親のことで心を傷めていた。

狸狩りの鉄砲の音を聞いた親子狸、とっさに雨傘に化けて様子をうかがうが、やってきたのは、狸御殿の腰元たち(水谷良重ら)。

折から、雨が振ってきたので、そこにあった雨傘をさして狸御殿へ舞い戻る。

その頃、御殿では、小包山の若様、狸吉郎(市川雷蔵)が、きぬた姫(若尾文子-二役)とお見合いをするため訪れていたが、当の姫は気位が高く、家老、狸右衛門(中村雁治郎)に対し、狸風情と結婚する気等ない、自分ほどの器量があれば人間と結婚できると、傲慢な言葉を残して家出をしてしまう。

父親と共に、城内で姿を見つけられたお黒は、その姿形が、きぬた姫そっくりということがわかり、狸路(楠トシエ)の発案により、当座の身替わりをさせられることになる。

見合いを兼ねた狸祭りで、すっかりきぬた姫に成り変わったお黒のことが気に入った狸吉郎。

その知らせに喜んだのは、父親、泥衛門だった。

しょせんは、自分は「御身替わり」に過ぎないと悩むお黒とは裏腹に、このまま娘が玉の輿に乗れば、自分も一生楽ができると、悪い仲間たちを集めて浮かれはじめる。

そんな村に夢破れて帰郷してきた本物のきぬた姫が帰ってくる。

そのことを知った泥衛門は、娘の玉の輿計画を守るため、姫を亡き者にしようとするのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

「狸御殿」(1939)「歌う狸御殿」(1942 )以来、映画各社で何本も作られた和製ミュージカル仕立て時代劇ファンタジー「狸御殿もの」の一作。木村監督自身があみ出したジャンルでもある。

基本的には、いかにも正月向けらしく、たあいないレビュー映画。
テレビでいえば「新春スター隠し芸大会」のようなもの。
お屠蘇気分で、ぼーっとしながら観て楽しむ類いの内容である。

本作の売り物は、何といっても、当時売り出し中だった市川雷蔵と勝新太郎という若手二人を前面に押し出している所。

雷蔵は、狸祭りのシーンで、入れ代わり立ち代わり登場する娘たち(その内の一人は、中村玉緒)と、延々とにこやかに踊りつづけている。

勝新の方は、お黒に気のある薬売りの栗助として登場し、緑の髪と腰巻き姿の色っぽいトップレス河童と踊ってみせたりする。

このお色気河童に象徴されるように、本作は歌や踊りだけでなく、かなりお色気表現が加わっている。

水谷良重なども、すらりと伸びた素足を惜し気もなく露出して歌っているし、踊り子たちの衣装も、全体的に妙にエロティックである。

音楽は、吉田正が担当。
全体的には、浪曲、民謡、ムード歌謡のような曲調が中心で、今聞くと、さすがに泥臭い感じは否めない。

さらに惜しむらくは、この作品、主だった出演者の歌うシーンが全て吹き替えであること。

多少下手であったとしても、雷蔵や勝新自身の歌が聞きたかった気がする。

トニー谷、江戸家猫八、三遊亭金馬なども出ているが、あまり目立たない。

一番目立っているのは、二役を演じている若尾文子。

後半では、分身の術を使った大立ち回りを披露してくれる。