1986年、アメリカ、バリー・ロングイヤー原作、エドワード・カマラ脚本、ブォルフガング・ペーターゼン監督作品。
人類が宇宙へ進出した時代、宇宙には、銀河の所有権を主張する別の生命体がすでにいた。
ドラック星人であった。
かくして、人類対ドラックの長い戦闘状態が始まる。
地球軍のパイロット、ウィリス・E・ダビッジ(デニス・クエイド)は、同僚のジョーイと共に、敵機迎撃のため宇宙ステーションから戦闘機で出撃するが、辺境のファイリン4星上空で攻撃を受け、そのまま、敵機と共に、惑星上に墜落してしまう。
同乗者のジョーイは死亡。
一人で不時着したダビッジは復讐心に燃え、近くに不時着した敵機に近づくと、醜いドラックを殺そうとするのだが、ミスを犯してしまい、逆に相手に捕らえられてしまう。
やがて、陰性群のシャワーにさらされた二人は、一時、闘争心を捨て、別の場所に避難することになる。
そうこうするうちに、憎しみあっていた二人の間に奇妙な友情関係が生まれていく。
ダビッジは、シャリバ・シガン(ルイス・ゴセット・ジュニア)と名乗る相手のドラック人は、シズマットという賢人の書いたタルマンと言う小さな本を常に読む、信仰心の熱い高度な文明をもつ生き物であることに気付いていくのだった。
長い時が過ぎ、二人の関係が又、不安定になったので、一人旅立つ決意をしたダビッジは、地球人がこの星に住んでいる痕跡を発見して喜ぶのだが、実は、その地球人たちは、ドラック人の開拓した鉱山をあさる無法者一味であることに気付く。
人間の浅ましさ、醜さを知り、いたたまれなくなって、元の住居に戻ったダビッジは、シガンの体が変化していることに気付く…。
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かなり低予算で作られた宇宙SF映画。
基本的に、ダビッジとシガンの二人だけで、物語の大半が進行していくと言っても過言ではない。
正直、地味である。
登場するメカデザインや、ミニチュア、クリーチャー類等も、総じて、あか抜けないと言うか安っぽい。
派手なスペースアクションのようなものを期待している人は、前半部分で失望、退屈すると思う。
しかし、この作品、途中当たりから、段々引き込まれていくものがある。
最初は、互いに偏見をもち、憎しみあっていたもの同士が、同じ苦難を経験していくうちに、友情が芽生えてくる…という発想は、白人と黒人の罪人同士が一緒に逃亡する「手錠のまゝの脱獄」(1958)などと同じ趣向である。
それに本作では、漂流サバイバルもののような要素が加わっており、さらに、SF的な大転回が途中から加わり、全く別の展開になっていくのがミソ。
後半、かなり、強引というか、無理矢理と思える部分もあるのだが、最後の最後になると、やはり、ぐっと胸に迫る感動が待っている。
この最後の感動に、それまでの物語が全て収束する作りになっており、前半、少々、期待外れ感があったにせよ、最後まで我慢して観続ける価値はあると思う。
B級ながら、じんわり感動系SF、とでもいうべき作品かも知れない。
