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信子

1940年、松竹大船、獅子文六原作、長瀬喜伴脚色、清水宏監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

九州の田舎から上京して来た新任の教師小宮山信子(高峰三枝子)は、父親の従兄弟である芸者置き屋「巴屋」の女将、服部お佳(飯田蝶子)を訪ねてくる。

気の良いお佳は、信子を置き屋に住まわせてやることに。

女学校に赴任した信子は、体育の教師として採用されることになるが、校長(岡村文子)から、言葉の御国訛りを直すように注意される。

実際に現場に立った信子であったが、つい出てしまう訛りを生徒たちが陰で笑っているのを聞いて落胆してしまう。

さらに、休講した教師の代行で勤めた英語の授業では、細川頼子(三浦光子)という女学生から、露骨に訛りの事をからかわれてしまう。

後で、他の女教師たちに聞く所では、細川なる生徒、札付きの問題児らしい。
しかし、学校に資金協力している有力者の娘ということもあり、誰も面と向って指導が出来ないでいるのだった。

ある日、弁当を持っていくのを忘れた信子に、芸者修行中のチャー子(三谷幸子)が、友だちを連れて学校を訪ねて来たものだから、置き屋に住んでいることが学校中にばれてしまった信子、校長からの指示で、寄宿舎住まいをする事に。

しかし、その寄宿舎には、あの問題児の細川頼子も生活しており、初日の夜から、信子は、その頼子の仕業と見られる執拗ないたずらに悩まされるようになる…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

ほっそりとして美しい高峰三枝子が、タイトな洋服姿で颯爽とした教師を演ずる教育もの。

さすがに、今の感覚で見ると、他愛無い感じもするが、 各々生活を抱え、事なかれ主義に徹する他の女性教師たちと、若い情熱を持って、問題児と対峙する新人教師の構図というものは、戦後の教育ドラマでもお馴染みの普遍的なテーマで、本作は、その先駆的作品になるのではないだろうか。

ただし、ちょっと気になる点もない訳ではなく、九州出身という設定の信子の訛りが、およそ九州弁らしくないこと。当時は、こうした点に無頓着だったということだろうか。原作自体がそうなっているのだろうか?

生徒にお国訛りをからかわれたくらいで泣いたり、どう考えても、罪のない子供っぽいいたずらとしか思えない頼子の行為に腹をたてる信子の姿には、さすがに時代感覚のズレを感じてしまう。

純朴というよりも、大人気なく見えてしまうのだ。

この辺はやはり、戦前の女性の一般的な感覚を知らない今の人間のとらえ方なのかも知れないが。

置き屋にいる、貧しい家の子であるチャー子が、不本意ながら芸者になる修行をさせられているのに、身近にいる信子が、その複雑な心理に気付かなかったり…という辺りにも、時代を感じさせる。

当時は、学校にも行けず、そうした境遇にある子供と言うのが、珍しくなかったと言うことなのだろう。

とはいえ、信子が女生徒からラブレターをもらったりする女学校らしいエピソードや、頼子のいたずらと思い込み、布団をかぶって、夜、寄宿舎内を逃げ回る人物を捕まえてみたら…という、ユーモラスなエピソードは楽しい。

娘頼子の問題行動が発覚し、学園に現れた父親(奈良真養)が、小宮山先生に責任を取らせて辞めさせようとする校長以下教師の面々に対し、「子供の行動に対し、いちいち先生が責任をとって辞めさせられるのなら、辞めさせられない親はどうなるのか」というセリフは素晴らしい。

この一言だけでも、この作品は観る価値があると思えるほど。

若き日の高峰三枝子を知る貴重な作品ともいえよう。