1944年、東宝、山崎謙太脚本、山本嘉次郎脚本+監督作品。
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昭和16年4月、日米外交が行き詰まりを見せ始めた頃、台湾から広東の前線部隊に、一人のパイロットが新部隊長として飛来する。
飛行技術に関しては天才的な技量で知られた加藤建夫中尉(藤田進)であった。
彼は、以前にもこの部隊で隊長を勤めていたこともあり、旧友の安場(黒川弥太郎)などと再会を喜びあう。
その数カ月後、日本初の車輪収納型戦闘機「隼號」が配備されることになる。
12月初旬、ベトナムのフコク島へ部隊は移動。
山下泰文(大河内伝次郎)閣下以下全部隊を乗せた船団の護衛飛行を加藤部隊は果たすことになるが、悪天候に阻まれ、加藤部隊長が情に負けて同行させた高田中尉以下、数機を失ってしまう。
その後、ぺナン、アロルスター飛行場などの攻撃に成功した加藤部隊長は、山下閣下以下、船団が、無事、マレー半島コタバルのパタンに上陸したことと真珠湾奇襲成功の報を受け、破顔するのであった。
加藤部隊は、その後、クワラルンプールで大東亜戦争初の空中戦を経験することとなる。
さらに、タイのドリアン空港に移動した部隊は、ラングーン爆撃に出かける北村(高田稔)、小山爆撃隊を護衛するも、部隊に乱れが生じ、味方機を何機も失う失態を犯してしまう。
帰還後、部下たちを厳しく叱責した加藤だったが、その後で、しょげ返る部下たちに果物を差し入れてねぎらうことも忘れなかった。
昭和17年、マレー作戦の後、加藤部隊の榎木の元に、親友の吉田(灰田勝彦)が訪ねてくる。
油田地帯であったパレンバン奪還作戦に参加する落下傘部隊にいると言う。
その落下傘部隊の奇襲成功の2月15日、シンガポールは白旗をあげることになる。
ジャワ作戦からビルマ作戦と、次々と凱歌をあげていった加藤部隊だったが、やがて、安場が戦死したとの知らせを受ける…。
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有名なパイロット加藤中尉の活躍と最後を描く戦争映画。
「姿三四郎」の藤田進が、朴訥として暖かい人柄の加藤部隊長を見事に演じきっている。
円谷英二による特撮も見事と言うしかなく、実機の撮影も交えた画面は、どこからどこまでが実写で、どこがミニチュア特撮なのか、判別しにくいほどの巧みさに思わず舌を巻くほど。
特に、ラングーン爆破のシーンなど、ミニチュア技術、合成技術、撮影技術、どれもずば抜けており、実写の記録フイルムと言われても信じる人も多いのではないかと思わせるほどの完成振り。
後年の怪獣映画の都市破壊シーンを彷彿とさせる迫力のスペクタクル。
パレンバンへの落下傘降下なども、記録映像か?…と思わせるほどの迫力だが、天気の良さ、映像のきれいさなどから考えると、映画用に新たに作ったものだろう。
劇中でリアルな空中戦を繰り広げる実機の類いも、戦利品などを利用して、実際に日本で撮影されたものらしい。
日本の特撮といえば、ミニチュアばかりで子供っぽいという先入観がある方、一度本作を観て頂きたい。
これほど、リアルな映像を作っていた時代もあったのだという事が分かるはずだ。
