1943年、東宝映画、獅子文六原作、如月敏+志村敏夫脚色、青柳信雄監督作品。
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現代(戦時中)の鹿児島の小学校の校庭で、示源流の練習をする子供達。
それをグラウンドの片隅で見守る学生服姿の男たち(中にエノケンが混じっている)。
彼らは、色々郷土資料をおさめてある尚古集成館に足を運んで、地元に長く伝えられる兵六話の書をめくる。
それと共に、画面は過去へと移る。
大石蔵之介の末孫、大石兵六(榎本健一)は、示源流の熱心な修行者でありながら、何故か失敗ばかり。
同じ修行仲間である吉野市太郎(柳田貞一)の妹お光(相川路子)や母親は、そんな兵六を陰ながら支えていたのであった。
しかし、どうしても直らぬ慌て癖が災いし、御前で行われる武道試合への参加を断念させられることになった兵六だが、自分を支えてくれる母親の愛情を知っている彼は、当日、強引に飛び入り参加して仲間たちの面前で大恥をかいてしまう。
立腹した市太郎は、兵六を破門しようとするが、彼が母親思いのために無茶をしたことを知り、一旦は鉾先をおさめることとなる。
その事を知った母親は、兵六に手紙を持たせ、五里も離れた心岳寺の住職(中村是好)に届けろと命ずるのだった。
その通り道には、妖怪変化が出ると最近評判になっており、市太郎らが退治依頼を受けたばかりだった。
しかし、事情を知らぬ兵六は、その場所に近づいたところで日が暮れ、星空にもかかわらず雨が降り始めたかと思うと、傘をさした可愛らしい少女(高峰秀子)に出会うのだったが…。
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獅子文六の「将軍鮒を釣らず」と、鹿児島に古くから伝わる民話をベースに作られた話らしいが、戦時中と言う時局もあり、生真面目な教訓ものというか、修身物語のような内容になっており、娯楽作品としては、今一つ弾まない退屈な出来になっている。
とはいっても、技術的には見るべき物もあり、円谷英二が担当した妖怪出現のシーンなどはなかなか丁寧に作られており、今観てもそれなりに楽しめる物になっている。
この時点で、巨人妖怪と小美人のキャラクターが登場している点が特に興味深い。
小美人に扮するは高峰秀子、ダメなキツネの子怪童女という役柄である。
彼女が、エノケン扮する兵六の手のひらに乗って会話するというファンタジーらしいシーンも、なかなか巧みに作られている。
巨人の方は三つ目入道で、こちらは合成処理と人形、大きなプロップなどを組み合わせて表現している。
作られた時代から考えて「国策映画」的な内容であるのは仕方ないとしても、後半の展開がいかにもありがちな民話的展開そのままで、あまり意外性がないのが、全体的につまらなく感じる原因だと思われる。
しかし、このようなものでも、娯楽が少なかった当時としては喜ばれたのかも知れない。
山中で、突然出現する茶店の娘、おいと役霧立のぼるや、「吉野の里祭り」と称して繰り広げられる女性たち(東宝舞踏隊) の踊りも、当時としては精一杯のサービス演出だったのだろう。
細かいことだが、劇中ちょっと気になったのは、兵六の好物として白いハンペンが登場する所。
白いハンペンというのは、関東特有の食べ物で、鹿児島にはないのではないだろうか?
ちなみに、本作の製作主任は市川崑氏である。
