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明日を創る人々

1946年、東宝+東芸、山形雄策+山本嘉次郎脚本、山本嘉次郎+黒澤明+関川秀雄演出作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

親子4人の岡本家では、東京製綱の事務員として、35年も真面目に勤めてきた父親(薄田研二)が、安月給に喘いでいた。

フジ映画で記録係として働きはじめてまだ2、3年の長女よし子(中北千枝子)の給料の方が、間もなく追い抜くのではないかという安さ。
よし子は、撮影所の組合運動にコーラス隊として参加していたが、古い考えの父親は、そんな娘の考え、行動を嫌っていた。

次女のあい子(立花満枝)は、ミヤコレビュー劇場で、あくどい支配人(志村喬)から、新人の踊子として毎日4ステージも踊らされており、仲間の一人春子が病気で倒れてしまう。
過労が原因で倒れたにもかかわらず、無情にも支配人はその春子を解雇してしまう。

岡本家の二階には、東都電鉄に勤める堀(森雅之)夫婦が下宿していた。そんな彼らの元に、祖母に預けていた彼らの幼い一人息子のヒロシが急病になったとの知らせを受けるのだが、堀は仕事多忙のため帰る事さえできず、結果的に一人で出向いた妻は、後日、白木の箱を抱えて戻ってくる事になる。

組合活動なんて、ひとごと、遊びごとと信じ、よし子に変な考えを吹き込んだのは二階の堀だと、その追い出しも考えていた岡本だったが、ある日、大量解雇の一人として、自分自身もあっけなく会社から首をきられてしまうのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

黒澤明の名前がはっきりタイトルに出ている(縦書きで書かれた三人の演出者の内、黒澤の名前はまん中に記されている)にもかかわらず、黒澤本人が、自分の作品とは認めたがらず、長らく封印されていた作品。

基本的には、完全に組合の宣伝映画といった感じで、黒澤明も、仕方なく参加させられたもののようだ。

物語は、岡本家族がかかわり合う東京製鋼、フジ映画、東都電鉄、ミヤコレビューの従業員たちが、各々、資本家の横暴に対抗するため、職場で団結して組合活動を行うようになる経過を描いていく。

実際の組合運動に、俳優が特別参加して撮っている感じで、集会やデモのシーンは、ニュースフイルムでも見ているようである。 (冒頭に、協力を仰いだ実在の電鉄会社と鉄鋼会社の名前が出てくる)

ここに登場するフジ映画とは、当然ながら東宝の事。

劇中に写しだされる撮影所の姿が、ほとんど、現在の風景と変わっていないという事にまず驚かさる。

役者の藤田(藤田進)が、組合が貼った掲示物を興味深そうに見て、本館前の1スタに入ると、そこにセットが組まれており、二重にいた照明さんたちが「このままじゃ結婚すらできない」と安月給を嘆いている。

女優の高峰(高峰秀子)が登場し、「こんなんじゃ、いい映画も撮れないわね〜」と嘆息する。

彼ら二人で撮られるワンカットは、泥酔した金持ちらしき夫が帰宅すると、階段から降りてきた妻が、東京の生活に絶望して、ちょうど家出しようとする瞬間に出くわすというもの。

藤田進と高峰秀子は、この劇中劇みたいなシーンにゲスト的に出てくるだけなのだが、キャストクレジットでは、一番最初に二枚看板として書かれている。

志村喬が大阪弁で演じる酷薄そうな支配人や、群集を前にして、アジ演説をしている森雅之という絵柄も珍しい。

中北千枝子は、この後、色々な映画に登場する名脇役の一人だが、この時代は、丸々とした娘顔であるのも興味深い。本作では、ほとんど主役に近い役柄をこなしている。

結果的に、組合側の一方的な論理だけで作っている感じであり、その正否はともかく、映画としても、生硬な主張が鼻に付くだけで、楽しめる類いのものにはなっていないが、ここに描かれた組合の活動の激化が、結果的に、東宝が製作から手を引くきっかけになったともいわれ、一方で、この考え方にどこか馬が合わなかったらしい黒澤自身、この後、一旦は東宝で数々の名作を作りながらも、その後、活躍の場を徐々に失っていく歴史を考えると、複雑な気持ちにさせられるのも確かである。