1956年、アメリカ、ハーマン・メルヴィル原作、レイ・ブラッドショー脚本、ジョン・ヒューストン脚本+監督作品。
▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼
金がないイシュメル(リチャード・ベイスハート)は、航海をして金を稼ぎたいと思い付き、ニュー・ベトフォードの港町に到着する。
宿で同室になったのは、顔から全身にかけて入墨をしているインディアンの大男クイケグ(フレデリック・レデバー)、彼も鯨捕りの銛撃ち志願としてこの港にやってきたらしい。
一緒に暮す内に互いに気があった二人は、共にエイハブ船長率いるピクオド号に乗船許可されるが、出発の朝、船に向う二人の前に怪し気な予言者イライジャと名乗る男が現れ、「島もないのに島の匂いがしたら、エイハブ船長は死ぬ。しかし、すぐよみがえると、他の人を招くであろう。そして、一人を除き、全員死ぬ」と無気味な予言を聞かせるのだった。
出航してから間もなく、噂のエイハブ船長(グレゴリー・ペック)が乗組員の前に姿を現す。
彼は、モビー・ディックという白鯨に片足を奪われ、今では鯨の骨で作った義足をはめていた。
そんな彼の白鯨に対する復讐心は異常なものがあり、補佐をしていたスターバック(レオ・ゲン)は、船長の考え方に疑問を感じていた。
スターバックの予感は適中し、やがて、白鯨を見たという情報を聞いたエイハブは、順調だった鯨漁を独断で中止させ、強引に白鯨の出現が見込まれるビキニ方面へと船を向わせるのだった…。
▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼
基本的に、宗教観等を下敷きにした文芸作品の映画化なので、海洋娯楽アクションのようなものを期待していると、ちょっと違っていると思う。
もちろん、実写フイルムや特撮も交えた捕鯨のシーンは再現されているが、そのアクションを楽しむような類いの話ではない。
あくまでも、一匹の鯨に身も心も奪われてしまい、ちょっと常軌を逸する考えを持つに至った一人の男と、その男と運命を共にする事になった船員たちの心の物語なのである。
宗教心にあついスターバック以外の船員たちは、皆、エイハブの男気と金銭的な気前の良さに惚れ込んで行く。
そういう集団心理、集団の狂気のようなものを冷静に見据えていたスターバックさえも…。
観る人により、色々な受け止め方ができる作品だと思う。
グレゴリー・ペックは、思ったほど大袈裟な演技はしていない。
むしろ、押さえ気味。
そこが、より、内に秘めた狂気を表現し得ているように思える。
余談だが、主人公イシュメルを演じているリチャード・ベイスハートは、空想科学テレビドラマ「海底科学作戦 原子力潜水艦シービュー号」で、ネルソン提督を演じた人である。
こちらでも、様々な海の怪物たちと戦っていた。
それにしても、劇中で登場する実写らしき捕鯨シーンは何なのだろう?
物語世界は18世紀半ばの事だが、映画に写っている捕鯨シーンはカラーである事からしても、映画製作時のものだと思われる。
アメリカは1940年頃、捕鯨は中止している…、という事は、北欧辺りの捕鯨国の記録フイルムを利用しているのだろうか?
それとも、実写に見えるあのシーンも、全て特撮だったのか?
