1962年、松竹大船、藤原審爾原作、吉田喜重脚本+監督作品。
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戦争末期、岡山の自宅が空襲で焼失した事を知った東京帰りの大学生河本周作(長門裕之)は、鳥取に疎開したという叔母を訪ねる列車の中で、秋津温泉で働いているというお民(日高澄子)と知り合う。
体調が悪く、これ以上の長旅は出来ないと考えた河本は、秋津に連れて行って欲しいとお民に頼む。
お民が案内した秋津荘は、今や兵隊達の宿舎と化しており、河本は布団部屋へ押し込まれる始末。
そこへ忍び込んできたのは、「この戦争は負ける」と放言してしまったため、逆上した軍人から追い掛けられていた、この家の娘、17才の新子(岡田茉莉子)だった。
新子は、河本が結核にかかっている事を知り、自分が看病する事を決心する。
やがて、終戦を迎え、意外にも滂沱と涙する新子の姿を見た河本は、自らも生きて行く決心をする。
ところが、そんな河本も、何時しか、酒に溺れる自堕落な生活に浸るようになって行く…。
価値観が急変する戦中から戦後に跨がる時代を背景に、そこで出会った二人の男女の哀しい運命を描く作品。
17才の頃のひたむきさ、純粋さ、愛らしさから、30代半ば、生き方に行き詰まってしまう大人の女としての苦悩までを演じわける岡田茉莉子が、実に素晴らしい。
終戦直後の希望に溢れた二人がたどる、その後の運命は過酷である。
若い頃は肉体的な、大人になってからは精神的な脆弱さを露呈する河本。
それは、人生や世間に対する男の甘えと見える。
肉体的な脆弱さからは救い出す事に成功した新子だったが、河本の精神的な弱さに関しては、救出する事が出来ないばかりか、自分までもが、その自堕落さにズルズルと引きずられるようになって行く無力さ。
それは、河本への愛情に、今一つ、踏み込めない新子の臆病さでもある。
温泉宿業を嫌いながらも、結局、そこから抜けだせない消極性とも重なる。
その臆病さ、消極性が、新子自らの人生をも破滅へと引きずり込んで行く。
河本は基本的に弱い人間なのだが、結局、出会った人間関係等に救われて、世間に妥協しながらも、ずるずる生きる道を選んで行く。
一方、山奥にこもっている新子を救い出せるのは、河本しかいないのである。
だが、肝心の河本に、新子を救い出す気持ちも力もない。
あるのは、新子に甘える事だけなのだ。
かつて、自分が救った命によって、逆に苦しめられ、追い詰められて行く新子。
「あの時、死んでれば良かったのよ!」と河本に言い放つ新子の言葉は、そんな河本への思いを断ち切れない自分、新しい生き方へ足を踏み出せない自分自身への叱責でもある。
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一見、暗くて重い作品のようだが、作品としては、一画面ごとの密度も高く、ぐいぐい引き込んで行く魅力を持っている。
特に、若い頃を演じる岡田茉莉子の光り輝くような魅力は絶品。
後半、東京の出版社勤務となった河本が懲りずにちょっかいを出すデパートガールに、若い頃の芳村真理が扮してチラリ登場していたりする。
