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さくや 妖怪伝

時代劇が衰退した原因の一つに、子供向け作品がなくなり、新しいファン層が形成されなくなった点を指摘する声がある。
 この作品の制作スタッフこそ、TVなどで子供向け時代劇を観て育った最後の世代と思われる。こうした世代による、時代劇ファンタジー再現への試みがこれまでなかった訳ではないが、脚本、表現力両面で、子供たちの興味を引き付けるまでには至っていないのが実情だと思っていた。
それだけに、この作品の客層に、子供の姿が多いのにまず驚かされた。TV局のバックアップや、公開時期の関係もあるだろうが、子供が実写時代劇を観ている状況など、一体何十年ぶりの現象だろう。大映の「大魔神」や「妖怪」シリーズ以来の事ではないか。内容以前に、まずその点に注目しなければならない。
話は単純に言えば「大江戸ゴーストバスターズ」である。全編「けれん」の連続で見せようという意図も明快で、特に東宝の「日本沈没」に挑むかのような、樋口特技監督による霊峰富士の大噴火シーンは圧巻というしかない。素朴な着ぐるみ妖怪たちも、見慣れた大人にはやや物足りないが、子供たちにとってはサービス満点なキャラクター陣になっているのでは、と思う。
ただ、普通の庶民が全く登場しない本編において、松坂慶子演ずる大妖怪「土蜘蛛」と体制側のストイックな超能力者、咲夜の対決だけでは、両者ともステレオタイプなオカルトヒーロー物のキャラクターから一歩も出るものではないだけに、「勧善懲悪」「娯楽活劇」と割り切ってはみても、感情移入しにくいのも事実で、咲夜に弟として育てられた河童の子、太郎の存在がなければ、この作品も平板な「特撮アクション」で終わっていた可能性がある。
作品後半はこの愛らしい子役、太郎が主役に擦り替わることで、子供も大人も納得できる活劇に変貌する。「土蜘蛛」が、「体制転覆を狙う異形の化身」という大仰な存在から、「姉弟の仲を引き裂こうとする悪いおばちゃん」という、卑近ながらも分かりやすい「敵」になったからである。
結局、観客はこうした陳腐なほどの「情愛の力」にこそ、いつの時代も心打たれるものだし、それを、照れずに描き得た監督の手腕に、実力派造型作家として以上の才能と感性を感じた。
マニアにとっても、時代劇初体験の子供たちにも、十分に堪能できる本作品を契機として、このジャンルのさらなる発展を願いたい。