TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

モスラ3 キングギドラ来襲

子供向けの映画は当の子供が一時を楽しめば良いのであって、大人があれこれ言うのは差し控えたいと思っていたのだが、「モスラ3」を平成怪獣シリーズ中1番の出来などと言う論評が映画専門誌に載れば、それは違うんじゃないかと同じ大人として言いたくなる。この筆者はドラマと特撮場面のバランスの良さを評価しているのだが、それ以前に私ニは「子供映画」としてのこの作品の魅力の薄さこそ、問題にしなければいけないのではないかと感じる。
子供達の根強い支持を集めている「ドラエモン」や「学校の怪談」シリーズなどが、子供を主役とし、彼等の視点で物語を進行させているのに対し、「モスラ3」に登場する子供達は結局単なる添え物的な扱いではないか。エリアス姉妹達の確執が、一人の登校拒否児にある教訓を与えると言う紋切り型のストーリーは良いとしても、肝心の子供達の描き方が平板で魅力がなく、感情移入しにくいのだ。
前半の子供達の会話を聞いていると、学校給食を無理に食べさせられている少女の話を例にとり、嫌いな物を無理に好きにさせる事は、自分に嘘を付かせる事になるのではないかと言っている。これに対し親がきちんと反論するでもなし、物語後半で答えが提出されるわけでもない。この論理で行くと作者は、子供は本能のままジコチューで生きていくのが良いのであり、大人の教育や躾など必要ないかのように考えている事になる。
一方登校拒否の子供には、自分は臆病な性格なんだとやけに簡単な自己解釈をさせ、モルも彼を弁護するようなセリフを言う。全体的に作者の、子供を理解しているかのごとく見せ掛けて、実は子供に媚びているだけのずるい大人の姿勢が透けて見えるため、セリフに説得力もなければ、子供映画独特のワクワク感も欠落しているのだ。技術陣も含め制作者側が、こういうテーマを心から作りたくて作っているのではなく、ビジネスとして惰性で作っている熱気のなさや嘘臭さが、画面から臭ってくるのが観ていて辛い。
怪獣ファンとしては、襲来の目的が今一つ分からないキングギドラや、いかにも弱々しく頭も悪そうなモスラの姿がひどく哀しい。鎧モスラが太古からずっと眠っていたのなら、子供が誘拐される前にその姿で現われておけば、無益な争いは避けられたのではないだろうか。
冒頭の海のシーンから鎧モスラの羽化シーンまで、デジタル技術による見事なビジュアルもあるだけに、被写界深度の計算ミスから生じたピンぼけ恐竜や、全体的に不自然な照明が気になる着ぐるみ怪獣など、初歩的なアナログ技術のお粗末ぶりが哀しすぎる。子供だましとしても、東宝映画と言うクレジットが泣いているのではないだろうか。