TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

五条霊戦記/GOJOE

誤解を恐れずに言えば、近年希に見る「モンスター映画」の傑作だと思う。
決して通俗娯楽ではない。どちらかと言えば、観念的な映像作品と言った方が良いだろう。
 物語前半は、謎めいた導入部分から、弁慶の登場、工夫を凝らしたアクションシーンを経て、「鬼」の正体がじょじょに明らかになっていく訳だが、この部分は、ストーリーの展開で観客を惹き付けると言うより、イメージの積み重ねを主とした作りになっており、弁慶の存在理由が不明確な事もあって、作品全体の性格もつかみ難く、正直なところ、退屈と言わざるを得ない。
 ところが、浅野忠信演ずる遮那王の本質が、世に存在を許されない、単なる悲運の貴公子や、体制に戦いを挑む荒ぶったエネルギーでも、ましてや、狂った超能力者と言った通俗な怪物ではなく、実は「現実」そのものの冷酷さを、自らの肉体に同化させたような魔人であると、観客が気付き始めた辺りから、急速に話は緊張感を増し、大団円へと突き進んでいく事になる。
 ここに至って、初めて弁慶の存在が、矛盾や弱味を抱えながらも、理想を追い求める「人間」そのものの象徴である事が明確になり、一挙に五条大橋の戦いは、「人間」対「現実」の赤裸々な対決の構図である事が判明するのであった。
 浅野の、「神仏」をも超越した、底知れぬ「宇宙」の奥深さをも体現化したかのような、冷気を発するがごとき無気味な演技と、不動明王に成り変わらんと、肉体と精神の限界に挑むかのごとき、隆大介の演技合戦が見事と言うほかなく、二人の最後の戦いは力感と想像力に溢れ、正に近年の時代劇作品の中でも、出色の出来栄えであると感じた。
 遮那王の本質は、観客各々が想像すればするだけ、得体が知れず、それに挑む人間の立場の無力感を悟る恐怖も相俟って、恐ろしさが倍増する仕掛けになっており、真の「モンスター映画」と、感じた所以でもある。