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ゴジラ×メガギラス G消滅作戦

手塚昌明氏の監督デビュー作である。
舞台挨拶でも、自らが「誰にも負けぬゴジラマニア」である事を公言していた。
その意気込みは、映画開始30分位までは十二分に感じられる。
 1954年のゴジラ出現によって、東京が壊滅し、大阪が首都になった、パラレルワールドとしての世界観の説明を兼ねた導入部。ウルトラマンアグル激似のヒロインとゴジラの因縁話。ゴジラ消滅作戦のために作られたブラックホール砲の実験に、偶然に立ち会った少年が、時空の歪みのために出現したメガニューラの卵を、それと知らず、東京渋谷に持ち込んでしまうあたりまでは、特撮も良く出来ているし、空想科学少年物としても悪くなく、これは、久々の「当たり」か?…と、期待が膨らむ。
 ところが、「Gグラスパー」の隊長となったヒロインが、再び出現したゴジラと、海で再接触するあたりから、だんだん映画の緊張感が薄れて行く。
 ヒロインがゴジラの背鰭につかまるとか、一方で、少年が捨てた卵が成長し、メガヌロンが渋谷を徘徊し始める、といった中盤の見せ場が話としては続いているのだが、この辺の特撮パートの出来が今一つ(特に映画全般に登場するグリフォンという、Gグラスパーの小型高速戦闘機が、いつも通り、おもちゃ以外の何物にも見えないのがつらい)と言う事と、やはり致命的なのは、ゴジラ自身の魅力と言うか『華』がもはや何もないため、観ている方としては、ゴジラの周辺にすごく意外な展開が起こりそうだ、というようなワクワク感が起こりようがないのである。
 それは、作っている側も承知しているためか、ブラックホール砲作戦が失敗するとか、それによって、メガギラス登場のきっかけを作ってしまう…とかの、外側からのサスペンス作りに苦心の後はうかがえるのだが、いかんせん、後半の緊張感を高めるために登場する、肝心の敵役メガギラスも造形的な魅力に乏しく、巨大感もなく、作り物丸出しで(特にラテックス製の翼がひどい!全然、飛べそうな代物に見えない!)、著しく興をそぐ結果となってしまったのが残念(と言うか、いつも通りと言うか…)でならない。
 ラストのプロレス劇は、デジタル処理で部分的にゴジラの動きを変化させたり、工夫はしているのだが、それが逆効果となって、面白いというよりは、ちゃちに見えてしまっていたのが気になった。
おそらく、観終わった大人の観客の中には、「東京で最終決戦するのだったら、大阪遷都の意味は?」という疑問を持つかも知れない。それは、決戦の後、ゴジラが向かうプラズマエネルギーの研究所が渋谷にある!?(東京が首都では、そんな設定は不可能だ)という理屈なのだろうが、これは、現在の大阪などの首都以外の大都市に、同じような危険な施設が存在しない事から考えても、土台無理な理屈で、奇抜な設定を有効に生かしきったとは言えないだろう。
それでも、全体としては見所も幾つかあるし、合成の下手さ加減や相変わらずのカメラ位置(今回は、冒頭部分が人間の視点で撮られていただけに、特にメガギラスが出現した当たりからの不自然なカメラ位置が、いつも以上に気になった)に目をつむれば、比較的出来の良い特撮パートもあるし、本編の芝居もまずまずだし、少なくとも「ゴジラ2000ミレニアム」よりは、楽しめる…と思う。比較が悪すぎるか…?
主役に『華』がなくなったと言う、致命的な弱点は、もはや、いかなる監督が挑戦しようと修復不能とも思え、(少々のイメチェンではダメだと思える)この作品を最後に、現在の形のゴジラには「消滅」してもらいたい、と切に願うばかりである。