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ゴジラ2000ミレニアム

「蛇足」「未練」「執着」「ゴジラ2000ミレニアム」の、シリーズ中でもワーストに近いと思われる、テンションの低い、何とも末期的な雰囲気漂う画面を眺めていると、ついそんな言葉が頭を駆け巡る。
マニアが陶酔しそうな、ゴジラのイメージ画その物と言ったカットは、確かに幾つか用意されている。しかし、肝心のストーリーは何もないに等しい。どこかで観たようなアイデアの切り貼りが延々と続くだけ。ハンマーで潰される寸前の失敗した粘土細工のような敵役怪獣や、全長30cmくらいにしか見えないUFO。オプチカル世代へのサービスのつもりなのか、色や動きがズレまくった合成も哀れと言う他はない。
もはや、撮影所やマニア達には、表現したい新しいゴジラのアイデアなど何もないのである。ただそこにあるのは、過去への執着だけ。自分の体臭が染み付いたボロボロの衣類にしがみつく幼児の姿と変わりない。
キャラクターが一新されたと言うが、画面での印象は、これまでの鈍重な100mゴジラと何等代わり映えしないし、アクションに新機軸も見出せない。何より、劇中の誰もが知っている害獣(人間にとって迷惑なだけの動物で、何も怪しい部分などない。巨大なフーテンの寅的存在)の毎度の気紛れお散歩に、力み返って興奮するのは、うさん臭い変人達とマスコミくらいであろう。この設定ではもはやどう工夫しても、「怪獣映画」としての斬新なサスペンスや驚きの興奮は生み出せそうにない。
そういう意味では、何の弱点もなく、勝って当然の退屈なヒーロー的要素をバッサリ切り捨て、観客へのショッカー的存在としての復権を狙い、一からキャラクターを刷新した、昨年のエメリッヒ版のゴジラの方が、出来はともあれ制作の意図は明晰だったと言える。
今で言えば、「もののけ姫」なみの観客を集めていたと思える「キングコング対ゴジラ」から、リアルタイムに観てきた世代としては、もはや「怪獣」としても「ヒーロー」としても、存在理由を失った老醜無惨なゴジラに、何人かの中年男性層と、その半分くらいの数の子供しかいない、寒々とした劇場で出会うのは堪え難い気分が募る。
ゴジラは撮影所システムの最後の生命維持装置なのか。ゴジラ教信者達の慰み物なのか。「不死ゴジラ」の悲劇性は、今や現実の世界においてこそ切実だと言える。切に引退を願いたい。