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 ガメラ3 邪神<イリス>覚醒(宇宙船投稿バージョン)

コンパクトながらオーソドックスな完成度に唸らされた「G1」。マイケル・クライトン原作の「アン ドロメダ…」並みのロジカルな展開が見事であった「G2」。しかし「G3」は、従来の通りの「痛快娯楽活劇」を期待して観るといささか勝手が違う。
「世紀末の黙示録」に挑んだかのような重く陰鬱な物語は、イリスという妖しげな美獣と、傷付いた少女の心に潜む魔性の混合とを核として、緩やかに観客を耽美的な地獄絵図へと誘っていく。そこには、人間も怪獣達も共に黒い宿命を背負いながらも、「種」の本能に突き動かされるように「殺し合い」を続けていく姿がある。それは悲劇でもあり、喜劇でもあるというがごとく…
シリーズ最終話にありがちの「総花的な大味感」を打ち消すような、マニアスタッフ達の肩肘張った「力み感」や独自の美意識は、観る者の好みによって評価を二極化する要素だと思える。テンポやテンションを失った失敗作とするか、野心的な実験作とするかは、今後、観客の感性に委ねられる事になるだろう。
それでも、「誰も見た事のない世界を見せる」という、事前の公約を見事に実現し得たスタッフ達の熱意には心底敬服する。確かにビジュアルに関しては申し分がなく、これまで国産の特撮には解決できなかった様々な不満点(セット撮影の作り物っぽさ、着ぐるみの生物としての動きの悪さ、都心ロケの制限によるリアルなパニックシーンの欠落など)を、一挙にクリアした記念碑的な仕事振りにはどんな賞賛も惜しまないつもりだ。高度な国産アニメの技術、センスを取り込んだ、まさに「ハイパー特撮」の出現と言えよう。
しかし、「いじめ」「環境問題」「家族・人間の存在理由」「風水」など、脚本に盛り込まれたモチーフはことごとく鮮度がなく、すでに発表されている既存の他作品と、「ネタがカブっている」点は残念ながら否定しようがない。
これは誰の責任というより、ここ数年間に同じような発想をする作家が映像・出版界に、次々と出現してきたためである。もう一歩突き抜けたアイデアを望むのは、ファンの我が儘なのだろうか。
それでも、「亀」の対立要素として誰でも思い付く「鶴」や「兎」ではなく、「玄武」と「朱雀」という伝説獣の発想を取り入れ、かつ、魔除けや地蔵が今も息づく街「京都」を舞台に、あえて「ベタな剣と魔法の世界」にはせず、近代建築との対比を見せながらの戦いに終始したセンスには、作者達の面目躍如たる面を見せ付けられた思いだ。幻の企画「ガメラ対フェニックス」も連想させて感慨深い物がある。
伝奇要素の解説役として以外は、あまり参入の意味を感じさせない朝倉や倉田を削り、もっと少年と少女に話を絞り込んだ方が良かったのではないかとか、観客の同情心を喚起するための少女の実父役が、三田村邦彦で良かったのかなど、個人的にはいろいろ疑問点もあるが、昭和ガメラからずっと観続けてきた世代にとって、さすがにラストは万感棟に迫るものがあり、目頭が熱くなった。ありがとう…僕らのガメラ…と、最後に言いたい。
怪獣は子供の物か大人の物かという議論があるが、私は怪獣は「怪獣好きの人」全ての物だと思う。子供は面白い物を大人から与えられるのではなく、自分達で発見するのだから、大人があれこれ心配する必要はないと感じる。私達が初期の名作を捜し歩いたように、興味のある子はやがて平成ガメラにも辿り着く。平成ガメラはそういう到達点に位置する一種の宝物なのではないだろうか。