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伝説巨神イデオン
接触篇/発動篇

1982年、日本サンライズ、富野喜幸原作、山浦弘靖+富田祐弘脚本、滝沢敏文監督作品。

ジャンル映画(アニメや特撮もの)は、多感な子供時代に出会う機会が多いので、どうしても一部マニアによる「思い込み過剰な」評価が定着しやすい面があるのだが、この作品なども、大人になった今、改めて観てみると(TV放映時には断片的にしか観ていなかった)、少なくとも「映画」としてだけ言えば、一部で絶賛されているような「傑作」という評価には、正直首を傾げたくなる部分がある。
「接触篇」「発動篇」とも、テレビシリーズの再編集がメインであるため(発動篇には、新撮パートも加わっている)、全体的にデザイン、色彩設計なども悪く、今となっては古めかしい劇画風のキャラクターや、ギクシャクした動きに、違和感を覚えないでもないが、とりあえずは、当時流行だった「宇宙戦争もの」の一種として、荒削りながら退屈はしない。
基本的には「ガンダム(ファースト)」の設定(戦争に巻き込まれた子供たち)を踏襲しながらも、「宇宙戦艦ヤマト」的な戦略駆け引きの面白さや、「2001年 宇宙の旅」を思わせる壮大なテーマ、登場する人物たちの性格付けや相関図の複雑さなども相俟って、比較的高い年齢層のターゲットに狙いを絞ってこの作品が作られていた意図は分かる。
しかしながら、「発動篇」クライマックスにおける「救いのなさ」「宗教めいた死生観」には「感動」というよりも唖然とするしかなく、何か「トンデモ映画」を観せられたような不条理観を感じる事も確かである。
SF的な大風呂敷を広げてはみたものの、最期は終止が付かなくなって、強引に「意味ありげなイメージ」で纏めてしまった…という風にしか思えてならない。
そういう意味では、富野喜幸氏以下、当時のスタッフたちの「勢いあまって暴走してしまった(?)若さ」を体感するには貴重な作品とも言えよう。
その後の、サンライズ作品への「通過点」として観るのも興味深いと思われる。