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天守物語

1995年、松竹+エイチ・アイ・ティ-、泉鏡花原作、坂東玉三郎監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

昔、姫路城の殿様が鷹狩りに出かけた時、美しい里の娘に出会い、気に入って手にかけようとした所、娘は神社に逃げ込み舌を咬んで自害してしまった。
そこに安置してあった獅子頭は、死んだ娘の血を舐めて涙を流したという。
その獅子頭は、城の天守に運び込まれ、それから百年というもの、誰も、その天守に近づく事はなかった。

その天守では、魔性の世界の奥様である富姫(坂東玉三郎)が出かけているらしく、腰元共が、糸を外に垂らして下界に咲く秋草を釣る遊びに饗じていた。

やがて、一天にわかに書き曇り、雨が降り出したかと思うと、雲の中から富姫の御帰還。
かかしから借りてきたという、蓑を羽織っている。

側女の薄(南美江)相手に、越前、夜叉ケ池の雪姫の所まで出かけ、鷹狩りに出ている当城主の播磨守(隆大介)ら一行が目障りなので、雨を降らせて困らせて欲しいと頼んできた所だと説明する。

間もなく、仲良しの妹、亀姫(宮沢りえ)が、角と赤ら顔で山伏姿の妖怪、朱の盤坊(市川左団次)と舌長婆(坂東玉三郎-二役)を従えて到着。

亀姫は、富姫へのお土産として、人間の生首を皆の前で披露するのだが、腰元たちは、その顔が、城主の播磨守そっくりなので驚く。

実は、その首は、亀姫の住む猪苗代城主の武田衣紋之助だという。
衣紋之助と播磨守は兄弟なのであった。

その首を獅子頭に食べさせ、鞠遊びも終えて、そろそろ帰りかけていた亀姫は、下界の騒がしさから、城主播磨守たちが鷹狩りから帰ってきた事を知るが、その鷹の姿に興味を持つ。

富姫は、可愛い亀姫のために、その鷹を人間たちをからかって奪ってやり、土産として持ち帰らせる。

さて、その夜、百年来、誰も近づいたものとてないその天守に、一人の若者が登ってくる。

対峙した富姫相手にいうには、自分は、昼間、こちらに鷹を奪われた鷹匠姫川図書之助(宍戸開)であり、殿に命ぜられて登ってきたのだという。

富姫は、城主の傲慢さに腹を立てる一方、美しく凛々しい、その若者に惹かれて行くのであった・・・。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

舞台劇を、ほぼそのまま観るような形で再現したらしき作品。

映画的な表現で見せるというのではなく、様式的な美術セットの中にドラマを凝縮させる事で、 その耽美的な世界観を楽しませる趣向となっている。

ファンタジー映画としても、この手法は正解だったような気がする。

下手に、人間界の様子などを描こうとすると、あれこれ、描写の不自然さが映画では気になって来るもの。

そこをすっぱり削ぎ取って、天守閣の中だけという、限定された空間に絞った事で、夢の世界を無理なく受け止める事が出来る。

玉三郎の豊姫は、「夜叉ケ池」(1979)で彼が演じた白雪姫に通ずるものがあり、美しさは相変わらずとはいえ、特に役柄として驚きはないが、生首の血を舌で舐める、無気味な老婆、舌長婆も彼が演じていた事を知ると、その様変わり振りに驚きを禁じ得ない。

ユーモラスな妖怪、朱の盤坊を楽しそうに演じている市川左団次や、小悪魔的な亀姫を演ずる宮沢りえの可愛らしさも印象的。

無邪気な妖怪世界の生き物から見た、人間界の醜さ、小ささ。
そして、互いに住む世界の垣根を超えた純愛の哀れさ、美しさ。

コンパクトな作品ながら、奥行きは深い。