1956年、日活、芝木好子原作、井手俊郎+寺田信義脚本、川島雄三監督作品。
粋な女、蔦枝(新珠三千代)が勝鬨橋で待っている男、義治(三橋達也)に煙草を買ってやって、「後、60円しかないわよ」と、今後の行動を促す。
どうやら、二人は文無し、宿無しの二人らしい。
男には何の思案もないようであった。
結局、女が勝手にバスに乗り込むのに、義治はただ黙って付いて行くだけ。
二人が降り立ったのは、須崎弁天町。
遊廓の「須崎パラダイス」のアーケードが見える。
蔦枝は、「手伝い求む」の貼り紙を見て、貸しボート屋を兼ねた小さな飲み屋「千草」に入り込むと、住み込みの勤め口がないかと女将のお徳(轟夕起子)に馴れ馴れしく尋ねる。
結局、蔦枝は、千草で働く事になり、義治の方は、翌日から近所の蕎麦屋「だまされ屋」の出前持ちとして働く事になる。
蔦枝の方は、水商売の経験があるらしく、客のあしらいは手慣れたもの。
一方、覇気がなく、倉庫会社を首になったばかりの義治の方は、自暴自棄になっており、蕎麦屋の仕事も、いわば、蔦枝への当てつけ半分で嫌々ながら勤めだしたのであった。
そんな義治を、蕎麦屋の店員玉子(芦川いづみ)は、気にかけるようになって行く。
やがて、蔦枝の方は、千草の常連である、神田のラジオ商、落合(河津清三郎)に急速に近しくなって行く。
たえず、千草にやってきては、蔦枝の様子をうかがっていた義治は、彼女が出て行った事を知ると、彼女を追って、神田の町をうろつき廻るが、結局、行き倒れ同然になって、傷心のまま洲崎に戻ってくるのだった。
一方、女と逃げて10年間も音信がなかったお徳の亭主(植村謙二郎)が、ひょっこり千草に戻ってくる。
蔦枝の事を吹っ切ったように、真面目に出前の仕事に精を出し始めた義治。
だが、そんな洲崎に、又、蔦枝が戻ってくる・・・。
▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼
ダンディなイメージが強い三橋達也が、ヒモ同然でふがいない、とことんダメな男を演じているのが興味深い。
一方、世慣れた女でありながら、いつも、男がいないと生きていけないような蔦枝を演ずる新珠三千代の巧さも見所。
そういう蔦枝の性格を、半分、女として軽蔑していながらも、自分も又、帰って来ない亭主をいつまでも待ち続ける弱さを持っているお徳を演ずる轟夕起子も存在感がある。
まだ、後年ほどは肥満してもおらず、色香も残していて十分美しい。
それら癖のある主要人物に、清純な娘、玉子や、千草の常連ながら、遊廓に騙されて勤めさせられた少女を助け出そうとする生真面目な青年などが絡んでくる。
遊廓の側という、いわば場末に集まった弱い人間たちの顛末…とでもいうべき話だろうか。
いわば、文芸もののような内容で、辛気くさい内容ではあるが、結構、最後まで引き込まれてしまう。
登場する人物たち全員に現実感があるからだろう。
だから、三橋演ずる義治など、観ているだけでイライラして来るような人物なのだが、男として、どこか共感してしまうような所があるのだ。
10年振りに舞い戻ってきた亭主にしてもしかり。
男の持つ弱さと女の持つたくましさという、ある種、本質を付いているような部分が、画面に引き付けるのだろう。
帰ってきた亭主が、久々に子供達を喜ばそうと、一緒に連れ立って、錦ちゃんの映画を浅草に観に行くという設定が、時代を感じさせる。
