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喜劇役者たち 九八とゲイブル

1978年、松竹、井上ひさし原作、田坂啓脚本、瀬川昌治監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

浅草で芸人を目指していたものの、さっぱり芽が出ず、今では、ドサ回りのストリッパー、ラビアン・ローズ(園佳也子)のマネージャーとなって、地方を旅する境遇となった港金一(愛川欽也)は、 楽屋に寝泊まりする事になった乙姫ミュージックという小屋で不思議な芸の持ち主と出会う。

その不思議な男は、自らを苦楽芸振(クラーク・ゲーブル=タモリ)と名乗るのだった。

後日、浅草のストリップ小屋「モナコ座」では、安月給でこき使われている進行さん(秋野太作)が、支配人(南利明)から、いつものごとく、無理難題を持ちかけられていた。

白鳥八千代という踊子が急に辞めると言い出したので、その穴埋めを捜して欲しいというのだ。

進行さんは、先日、上野で久々に出会った港金一の事を思い出し、渋る支配人を後にして、早速、仕事の依頼をしに、金一が宿泊しているアパートへと出かけるのだが、そこで待っていたのは、押し入れに隠れていた泥棒だった。

その頃、かねてより結婚の約束をしながらも放っておいた恋人、千代(佐藤オリエ)の経営するカレー屋に寄っていた金一は、地方で素晴らしい相棒を見つけたので、自分も芸名を芸利九八(ゲーリー・クーパー)と変えてコンビを組む事になったと千代に報告していた。

一方、結局売れないまま死んでしまった芸人を兄に持つ千代は、同じように才能に恵まれていない金一には、カレー屋の主人として地道に働いてもらいたくて、すでに、婚姻届を用意して彼を待っていたのだが、張り切る金一を前にしては、それ以上、強引に説得するのもためらわれるのだった。

アパートに帰り付いた金一は、押し入れの中に縛り上げられていた進行さんを発見、泥棒の正体が、芸振の仕業である事に気付く。その証拠に、今度は警官姿に変装した芸振が、その場に姿を現したからである。

モナコ座での初舞台で、思いのほか客に受けた芸振と九八コンビは、「コント55号」以来だと支配人にも気に入られ、そのまま劇場に採用となる。

やがて、関東テレビの原田プロデューサー(湯原昌幸)が劇場を来訪、二人をテレビのレギュラー番組で使いたいと言い出すのだが、二人の芸を観た千代は、客に受けているのは、芸振の方だけだと見抜いていた…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

浅草芸人の悲哀を描いたペーソスドラマ。

才能がないのに夢だけを追っている哀しい芸人を、愛川欽也が良く演じている。

これを、コメディだと過剰に期待して観てしまうと、肩透かしをくう事になる。

まず、基本的に、主役の愛川欽也はコメディアンではないので、笑いを取るような演技はしていない。

さらに、財津一郎、三木のり平、南利明ら芸達者連中が出ているにもかかわらず、彼らにも、笑いを取るような役柄が与えられていない。

結局、意図的に笑いを狙っていると思しきシーンは、誰がやっても代わり映えしないような、ドタバタの追いかけっこシーンだけ。
これでは、わざとらしさが鼻につき、なかなか素直な笑いに繋がらない。

では、全く笑えないのかといえばそうでもなく、しろうとがそのまま映画に出ているという印象が強いデビュー当時のタモリだが、その芸の内のいくつかは、今観ても新鮮で面白いのだ。

デタラメ外国語放送や、四カ国麻雀、中洲産業大学ネタなど、すでに飽きるほど見聞きしてきたため、今観るとさすがに笑うほどではないが、オットセイになり切るネタや、「君が代」の歌詞を「月の法善寺横町」にすり替えてしまうネタなどは珍しく、思わず吹き出してしまった。

さらに、実際にタモリを見い出した張本人赤塚不二夫氏が、バカボンのパパのような出で立ちで、おでん屋台の主人役として登場しているのも、何故か笑えてしまう。

清純そうな踊子の浅草町子(東てる美)に憧れて劇場に通い詰め、その熱意をかわれて進行見習いとして雇われるオタッキーな下川狂之介役の鈴木ヒロミツ、脱ぎっぷりの良いストリッパー役、あき竹城、他に、女性国会議員役の横山道代や刑事役の橋本功、乙姫ミュージックの支配人を演じている笑福亭鶴光らが、各々存在感を見せてくれている。

ただ、惜しむらくはこの作品、この当時までのオチとしてちょくちょく使われていた『ある種の病院』ネタを用いているため、現在ではなかなか観れない事だ。

結局、奇抜な芸に対しては、そういう常識的な落とし方しか出来ない所が、この当時の日本の喜劇映画の限界だったのかも知れない。