1937年、アメリカ、フランク・キャプラ監督作品。
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1935年、中国バスクル、ほう起する中国人の騒乱の中、イギリス人外交官ロバート・コンウェイ(ロナルド・コールマン)は、一人でも多くのイギリス人達を国外に脱出させようと、飛行機の手配に大わらわだった。
最後の飛行機に何とか数名の人たちと一緒に乗り込む事に成功したコンウェイは、同乗した弟のジョージ(ジョン・ハワード)から、近い内に、兄さんはイギリスの外務大臣になって欲しいと祝福の言葉をかけられていた。
翌朝には、上海から船に乗船し帰国できると信じ込んで、ぐっすり寝込んでいた乗組員達は、翌朝、自分達の飛行機が、東ではなく西に向っている事に気付き愕然とする。
見ると、何時の間にか、操縦士が見知らぬアジア人にすり代わっているではないか。
化石の発掘のため当地を訪れていた考古学者のラベット(エドワート・エヴァレット・ホートン)、経営していたブライアント社が倒産し、多額の負債を負ってしまったため、警察から逃れている所だったバーナード(トーマス・ミッチェル)、後半年の命と医者から宣告されたものの、それから1年以上も死にきれずにいる肺病病みらしいアメリカ人女性グロリア(イザベル・ジュエル)らを乗せた飛行機は、途中、一回、給油のため、見知らぬ部族の暮す砂漠地帯に着陸した後、さらに奥地へと飛行を続けるのだった。
チベットの1500キロも奥地にある前人未到の地域に達した時、飛行機は燃料不足のため、吹雪の山中に墜落し、パイロットは死亡。
何とか命だけは生き長らえた乗組員達は雪山の中に取り残され途方に暮れる。
そこにどこからともなく現れたのは、近くにあるラマ寺院に住むチャン(H・B・ワーナ−)と名乗る謎の人物率いる見知らぬ種族の一群だった。
コンウェイら乗組員達はチャンに導かれるまま、とある洞窟を通り抜けると、そこには、素晴らしい天候にめぐまれた不思議な空間が待ち構えていた。
そこは、伝説の都市「シャングリ・ラ」だった…。
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ジェームス・ヒルトンの原作を映画化したものだが、もともと132分あったオリジナル版は、その後、25分カットされ一般に公開された後、1967年には、オリジナル版も紛失してしまっていた。
本作は、世界各地に残されていたフイルムを掻き集めて再編集したもので、音源の方が長めである。
失われた画像部分に関しては、スチール写真で穴埋めしてある箇所もいくつかある。
まず、本作を観ていて最初に気付くのは、コンウェイら一行が飛行機に乗って西へと向うシーン。
これは、「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」での、上海からインディたちが飛行機に乗って脱出するシーンとそっくりである。
おそらく、スピルバーグは、本作をヒントにしたのではないかと思われる。
内容は、いわゆる「ユートピアもの」で、理想郷に見える「シャングリ・ラ」に、連れて来られた文明人達が適応できるか否かがテーマとなっていく。
大きな大戦に明け暮れて、精神的に疲弊していた時代のインテリが考えそうなテーマであり、今の感覚で観てしまうと、色々疑問が湧いて来る環境なのだが、本作はかなり生真面目にテーマに挑んでいる。
アジアの奥地にあるはずなのに、何故か西洋的な建築物が建てられていたりするのも、この国を今の姿に仕立て上げたのは、ベルギー人のペロー神父という設定になっているため。
結局、ユートピアとはいっても、しょせんは、欧米人にとって都合の良い理想郷なのだ。
黙々と肉体労働や裏仕事をこなしているのはアジア人達であり、欧米人達は創造的だったり教育的な部分を担当している。それは確かに彼らにとっては理想郷であろう。召し使い達に一切合切面倒をみてもらえる王侯貴族のような生活なのだから。
後半は、現実的で、理想郷の生活をまやかしだと思っている弟ジョージと、どこか、理想郷の生活に憧れを持ちはじめるコンウェイの対立が物語の中核となっていく。
監督の目線は、コンウェイに傾いているようで、ラストはハッピーエンドというよりも、何やら麻薬的というか、現実逃避そのもの、狂気じみてさえ感じられる。
