TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

続宮本武蔵 一乗寺の決斗

1955年、吉川英治原作、若尾徳平脚色、稲垣浩脚色+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

「宮本武蔵」に続く第二部に当たる。

修行の旅に出た武蔵は、伊賀の山中で、鎖鎌の達人、宍戸梅軒(水島道太郎)と戦い勝つ。
しかし、その勝負を観ていた老僧日観(高堂国典)から、武蔵は、強すぎるだけで、心に余裕がないと指摘される。

偶然、その勝負の場に住んでいた孤児の少年、城太郎(飯田健人)が、武蔵の後を付いて来る。

一方、京の三條大橋の袂で、武蔵を待ち受けていたお通(八千草薫)は、母親お甲(水戸光子)と吉岡道場の藤次(加東大介)から、半ば無理矢理に若先生、吉岡清十郎(平田昭彦)に付き合わされていた朱実(岡田茉莉子)と出会う。

二人とも、互いに同じ武蔵を慕っている間柄だとは気付いていないのだった。

その頃武蔵は、その若先生が不在の吉岡道場で、次々と門弟達を打ち負かしている最中であった。

清十郎が帰宅しないので、後日、三條大橋での勝負依頼を書き残し、道場を後にした武蔵は、刀を研いでもらうために、研ぎ師の元を訪ねるが、名人、本阿弥光悦を紹介される。

その光悦は、今、砥ぎ終わったという「物干竿」なる刀を武蔵に見せる。
佐々木小次郎という侍からの依頼品だという。

その頃、すっかりお甲に囲われ、怠惰な生活に明け暮れていた又八(堺左千夫)は、吉岡道場の門人達に武蔵と間違われて斬られた侍から、佐々木小次郎という侍に渡してくれと、巻物を託される。

三條大橋で清十郎を待っていた武蔵は、又しても、門弟達に襲われる。

その様子を橋の上から眺めていたのが、佐々木小次郎 (鶴田浩二)。

彼は、近くにいた藤次に、襲われた男と他の侍では格が違い過ぎると喝破するのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

武蔵が、80人の吉岡道場の門弟達と戦う、有名な「一乗寺下り松の決斗」までを描いている。

光悦に紹介され、郭で出会った武蔵に恋する吉岡太夫(小暮実千代)や、朱実とお通が、互いの立場を知る事になる所など、女性を描く部分は丁寧に描かれているが、肝心の武蔵の剣劇シーンは、意図的にか、かなり省略、もしくは暗示的な処理で終わっている。

そのため、老若男女万人向けの無難な大衆娯楽映画にはなっているのだが、取り立てて強い印象が残るような作品にはなっていない。

何よりも、主人公たる武蔵とお通の印象が弱いのが気になる。

本作で印象的なのは、前作同様、キラキラした魅力を見せつける朱実であり、しっとりした大人の魅力を見せる吉岡太夫とその禿の可憐な美少女りん弥(近藤圭子)、そして、妙に厚化粧の佐々木小次郎を演じる鶴田浩二である。

三船は、当時のイメージ通りの三船でしかなく、お通を演ずる八千草薫もまた、あまりにも、控えめな女という役所にフィットし過ぎていて、逆に、目立たなくなってしまっている。

おそらく、稲垣監督は、この二人に、あまり関心がなかったのではないか?

二人の演出に関しては、通り一遍というか、特に「冴え」が感じられないのだ。

役柄上、平田昭彦はともかく、その弟、伝七郎を演じる藤木悠も、ちっとも強そうに見えないし、全体的に、武蔵に拮抗するアクの強い役者がほとんど登場しないのも、作品的に弱い印象を与える所。

前作で、三國連太郎が演じていた又八が、堺左千夫に代わってしまったのも、物足りなさを感じる所である。

真っ赤な衣装を着たりん弥が、雪が降り始めた庭先で、一人唄を歌いながら、武蔵の帰りを待つ所など、美しく叙情的な演出もあるのだが…。