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善魔

1951年、松竹大船、岸田国士原作、野田高梧脚本、木下恵介脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

新聞社の部長、中沼(森雅之)は、若い記者の三國連太郎(三國連太郎)を呼び寄せると、大蔵省の官僚、北浦剛(千田是也)の妻、伊都子(淡島千景)が出奔したらしいので調査をするように命ずる。

単なるプライバシー問題を記事にする事にためらいを覚える三國だったが、いわれるまま、北浦の知人や本人に取材を試みるが、何ら芳しい成果を得られない。

その頃、中沼の方は、上司に呼出され、今、彼が書いている「政界人物評論」という連載に、何かと苦情が寄せられているので、打ち切る気はないかと打診されていた。

それを断わってデスクに戻ってきた中沼は、10年前の事を思い出していた。
当時、まだ学生だった中沼は、ある講習会で知り合った鳥羽伊都子と親しい間柄になっていた。
中沼の方は、伊都子に結婚を申し込もうと考えていたのだが、伊都子の方は、北浦との結婚を選択したのだった。

一方、伊都子の行方を負って、彼女の軽井沢の実家へ出向いた三國は、雪山にぽつんと立った彼女の実家である山小屋で、老いた父親(笠智衆)と、病弱ながら可憐な妹の三香子(桂木洋子)と出会うが、二人とも、伊都子の所在に心当たりはないという。

しかし、三香子の口から、あさみという伊都子の友人が静岡に住んでいる事を聞かされた三國は、彼女を伴って、その友人の家を訪れ、とうとう伊都子本人に出会う事に成功する。

中沼には、2年あまり付き合っている小藤鈴江(小林トシ子)という舞台女優の愛人がいたのだが、彼女から、そろそろ家庭を持って落ち着きたいと告白される。
それに対し、曖昧な態度で逃げる中沼。

伊都子からのインタビューには失敗したものの、同行した三香子に淡い恋心を抱いてしまった三國は、伊都子の気持ちも察し、独自に、北浦剛の収賄の事実を調査して、伊都子の離婚に有利になるよう動き始めるのだった。

そんな純な三國から三香子への手紙がきっかけとなり、伊都子から久々に手紙をもらった中沼の心は揺れはじめる。
東北の新聞社に行かないかと上司から持ちかけられた彼は、静岡の伊都子の元を訪れる。
彼の本心は、鈴江と手を切って、伊都子とよりを戻す方向へ傾いていた。

その後、久々に軽井沢の山小屋を訪れた三國は、三香子の容態が急変した事を知る。
慌てて東京に舞い戻り、会社に辞表を提出した中沼を同伴して、死に行く三香子と結婚しようとする三國。

しかし、駅で中沼の到着を待っていた彼が見たのは、一人、捨てられた中沼を待ち続けていた寂し気な鈴江の姿であった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

三國連太郎のデビュー作で、彼の芸名の由来ともなった作品でもある。

タイトルになっている「善魔」というのは、上司からの圧力と戦い、ジャーナリズムとしての意地を持ちたい中沼が、後輩の三國を酒に誘って聞かせる宗教家の言葉から来ている。

何故、「善」というものが「悪」に勝てないかというと、善というのは本来、自分を守る事に精一杯で、とても悪とまともに対決する力さえない。

「善」がその力を得るためには、魔性の力とでもいったものを持ち得なければ、悪に対抗できないというのである。

しかし、やがて皮肉な事に、この言葉を発した当の本人中沼は、最後の最後で、純な心を持つ青年三國に、汚い人間として糾弾される事になる。

新聞記者としては信念を貫いた中沼であったが、男として、人間として、何時の間にか許しがたい存在になっていたのであった。

彼は、結ばれる直前だった伊都子の面前でつぶやく…、「三國連太郎は立派です」…と。

山小屋に住む病弱な少女と純な青年の悲恋という、やや通俗的な素材を交えながら、男のエゴイズムを痛烈に暴く辛らつなドラマになっている。

新人の三國は、実直な好青年を見事に演じている。

まだ、けだるいような、彼独特の間というか、癖は見せておらず、かなり早口でまくしたてるような、真直ぐな演技をしている。

それを、淡島千景や森雅之が、落ち着いた演技で、がっちり受け止めている。

特殊撮影として川上景司の名が出て来るが、どこに特撮が使われているのか発見できなかった。
タイトルバックに使用されていた炎の部分だろうか?


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