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丹下左膳 こけ猿の壷

1954年、大映京都、林不忘原作、衣笠貞之助監督。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

山の中、丹下左繕(大河内伝次郎)が、飛んでいる燕を、愛刀「濡れ燕」で真っ二つに切り捨てるシーンから始まる。

時の将軍は、湯あみ中、背中を流させていた愚楽爺(高堂国典)に、日光御廟修復を誰に任せるべきか相談する。

爺から、今は二万三千石の小藩ながら、先祖が莫大な黄金を隠していると噂される、伊賀、柳生対馬守に任せて、金を吐き出させては…と具申された将軍は、早速その案の実行を命ずる。

最初から仕組まれた、金魚クジ(各藩の代表者の前に金魚鉢が置かれており、それに一匹づつ金魚を入れて、最初にその金魚が死んだ者が当たりという御神託)で、指名された柳生藩では大騒ぎが巻き起こる。

山から連れてきた一風僧正なる古老から、先祖伝来の「こけ猿の壷」に、初代が隠した財宝の在り処を示す地図が納められていると教えられた対馬守であったが、肝心の「こけ猿の壷」は、江戸の養子先への引き出物として渡してしまった事に気付く。

使者から、その事の次第を伝えていた江戸の養子先では、盗人目的で庭先に忍び込び、その話を聞いてしまった軽業のお島(高峰三枝子)が、これ幸いとばかり、その壷を盗み出してしまう。

その壷は、お島から、子分の「鼓の与吉」(上田寛)の手に渡され、与吉は、追っ手の眼をくらませるために、その壷を、ちょうど通りかかった子供に預けるのだが、戻ってきた与吉は、壷諸共、その子供の姿が消えた事に気付く。

隻眼隻手の丹下左繕の住処へ逃げ込んだ子供を見つけた与吉だったが、その左膳から邪魔されて、壷を取り戻せないまま帰らざるを得なくなる。

天涯孤独なチョビ安と名乗るその子供(蔵方しげる)は、同じように孤独な身分の丹下左繕から、俺と一緒に暮さないかと持ちかけられる。
チョビ安は喜んで、左膳の事をそれから「父上」と呼んで慕いはじめるのだった。

その後、その「こけ猿の壷」をめぐって、左膳、柳生一族、それに司馬道場の師範代で、老先生の死後、柳生源三郎(坂東好太郎)と婚礼間近だった娘の萩乃(三田登喜子)と道場を、一挙に自分のものにしようと企んでいた丹後(杉山昌三九)と、その門弟で、お島と手を組む上村(伊達三郎)らが入り乱れての三つ巴の争奪戦が開始されるのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

本来、妖刀「乾竜、坤竜」に取りつかれて、殺人鬼モンスターと変貌した丹下左繕であったが、この話では、子供を助ける良いおじさんになっている。

これは、モンスター的キャラクターであった当初の左繕が、予想外に子供に受けたためらしい。

ゴジラなどと同様に、本来、特に子供向けとして作られた作品ではなかったにもかかわらず、子供からの熱い支援を受けて、主人公のキャラクターの性格が変化して行った最初の例ではないだろうか?

本作は、何だか、宝探しの冒険ものになりそうな設定なのだが、そういう展開にはならない。

あくまでも、将軍サイドの思いつきに踊らされる、侍や町民たちの愚かな顛末が主題のようだ。

戦前、丹下左繕の役で一世を風靡した大河内伝次郎であるが、この頃はすでに、でっぷりと太っており、さすがにもはや、かっこいいヒーローとはいいにくい姿に成り果てている。

壷の奪い合い自体も、どう観ても「子供っぽいドタバタ騒ぎ」という感じで、大人が観るには、ちょっと他愛無い感じもするが、かといって、この作品が、完全な「お子さま向き」に作ってあるという訳ではない。

左膳に惚れるお島のエピソードや、萩乃に横恋慕する丹波と柳生源三郎の三角関係など、色恋沙汰の要素も含んでいるからである。

庶民向けの「通俗大衆娯楽」といった感じであろうか。

お島役の高峰三枝子は、まだ顔もほっそりしており、妖艶な姉御を好演している。