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喜劇 泥棒大家族 天下を取る

1972年、渡辺プロダクション、加藤延之原作、田波靖男+中西隆三脚色、坪島孝監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

かつて炭坑の街として栄えた築豊地方の某集落、一人の新聞少年ノボル(石井聖孝)が集合長家を廻って新聞配達しながら、自分も住むその集落の様子を不思議がっている所から始まる。

どの家も、カラーテレビや冷蔵庫、家財道具は豪華なものが揃っている。
しかし、全所帯、表面上は生活保護を受けているのである。

その秘密は…、実は、この集落の人間達全員が「泥棒」だったからだ。

彼らは複雑な姻戚関係の絆で結ばれており、定期的に「航海」と称しては、集団で全国のデパートをめぐっては、反物を中心に盗みまくっていたのである。

信じがたい話だが、この作品、実話をベースにしているというから凄い。

彼らを束ねているのは、かつて、炭坑の過酷な労働に楯突いたため、暴力を受け、片足が不自由になってしまった前科20犯の猪狩時之助(植木等)。

彼は、その頃女房だったタツノ(ミヤコ蝶々)との生活を支えるために、宝石泥棒を始めるが、森川巡査(伴淳三郎)を含む警察隊に嗅ぎ付けられ、すんでの所で捕まりそうになりかけた苦い経験があるため、それ以降、足のつきやすい宝石には一切近づかなくなったという経緯がある。

今は、その地区の交番勤務となっている森川巡査は、不審がる新任の巡査(米倉斉加年)に、そうした過去を教えて、うかつに集落内を捜査しても、空振りになるだけなのだと説明するのであった。

事実、民生委員(桜井センリ)などが調査のため、当集落を訪れても、監視役の人間が全集落に警戒信号を発し、それを合図に全員が巧みに日頃の贅沢な家財道具を隠してしまい、外部の者には、彼らの見せ掛けの貧しい生活しか垣間見る事が出来ない仕組みになっていたのであった。

そうした泥棒村の結束が崩れる日が近づいて来る。

一つは、そんな泥棒村に、事情を知らない別の泥棒二人組(二瓶正也、鈴木和男)が侵入して、逆に住民達に捕まってしまった事。

時之助は、得意満面で警察署長(太宰久雄)から犯人逮捕協力の感謝状を授与されるが、そのチャンスを生かした森川巡査らは、彼ら親戚一同の顔写真を記念写真の名目でまんまと写し、手に入れる事になる。

もう一つのきっかけは、日頃から、姻戚関係が薄い事から冷遇されて不満をつのらせていた若手達の造反である。

ノボルの兄、昇作(なべおさみ)、恒夫(小松政夫)、明男(阿藤海)らは、時之助の弟門次郎(谷啓)を焚き付けて、まとめ役に押し上げ、時次郎には無断で「航海」に出かける。

指名手配写真が全国に流布されていたため、彼らは全員あえなく捕縛されてしまう。

それを知った時次郎は、自業自得だと、彼らの保釈に協力などしないと突っぱねるが、他の子供達から虐められているノボルの様子を見た事から心変わりし、自分自ら乗り出して、一世一代の大博打を開始する事を決意する…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

ハナ肇を除くクレージーの面々(石橋エータローはこの当時、すでにメンバーから外れていたと思う)、太地喜和子、藤田まこと、江夏夕子、紀比呂子、峰岸隆之介、山東昭子、岸部シロー、井上順之、藤村有弘、三木のり平…、実に多彩な顔ぶれである。

一見、植木等が主演のようではあるが、足が不自由という設定を設けている事からも分かる通り、前半はほとんど活躍せず、後半もさほど派手な演技はしない。

結果的に、正直な所、往年のクレージー映画のようなハチャメチャさや躍動感はない。
割とおとなしい感じの人情喜劇風になっている。

注目すべきは、彼らのセリフ。
通常、地方を舞台にしたドラマであっても、そこで使われる方言は「標準語との折衷型」だったりするものだが、本作では、かなり本格的な九州弁になっている。
もちろん、イントネーションなどは、かなり怪しいのだが、その地方の人間でなければ分からないような特殊な言葉が連発される。
これは、福岡出身の小松政夫や米倉斉加年らが、徹底的に指導したからではないかと推測される。

さらに、紀比呂子は、この当時人気のあったテレビ番組「アテンションプリーズ」と同じようなスチュワーデス役で登場してくるし、谷啓扮する門次郎が長い楊子をくわえるシーンがあるのは、もちろん「木枯し紋次郎」のパロディである所などにも注目したい。